2017年04月15日

ヒトの脳はふてぶてしいが、打たれ弱い

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ここ数十年でめざましい進歩を遂げた臨床診断ツールは何かと言えば、やはりそれは画像検査だと思います。最も歴史がある超音波検査は、今やベッドサイドで第二の聴診器として定着していますし、1975年から診療現場に導入されたCT、少し遅れて実用化されたMRIは性能が飛躍的に向上し、診療現場で極めて重要な、そしてしばしば決定的な情報を提供してくれます。

最近のCT、MRIの画質レベルの高さは導入当時とは比較になりません。幕末の写真と現代の最高級デジタル・カメラ画像くらいの差か、ひょっとしたら私の描く鶏(トサカで何とか鶏と判別できるレベル)と伊藤若冲の描く鶏くらいの差があるかも……画質の向上もさることながら、組織の局在とリアルタイムの組織内の細胞活動を同時に検出・撮像する技術も進歩していて、とくに脳機能の解明に威力を発揮しています。なかでも私が興味を持つのは、脳の側頭葉内側の奥まった場所にある一対の神経細胞集団である扁桃体(amygdala:アミグダラ、元々はアーモンドの意、形状が似ています)の機能です。扁桃体は情動や記憶に重要な役割を果たすとされています。そこで扁桃体に関する最新の研究論文を二つ紹介したいと思います。

1本目の論文はロンドン大学のグループが2016年12月に「ネイチャー・ニューロサイエンス誌」に掲載したもので、題して「脳はウソに順応する」……ちょっとすごいタイトルでしょう?論文の冒頭にはこうあります。「推し量るに、多くの不正直な行動は、小さな、だが段階的に増大する偽りの連鎖に遡及できる……」著者らはこれが欺瞞、剽窃、詐欺そして科学分野の捏造など、あらゆる不正直に共通する現象であると述べています。

著者らの実験はユニークです。80名の若者(男性28人、女性52人)を対象に“不正直な行動が経済的実利をもたらす”という一種のゲームを設定すると、しだいに利己的動機による不正直行動は増大していくことが示されました。そこで一部の被験者で、脳の局所の血液酸素飽和度の変動を捉えることができる“機能的MRI”という画像診断機器を用いた検討を加えました。

不正直な行動をとると、最初のうちは情動・感情反応の主座である扁桃体が明らかに反応するのです。ところが不正直な行動が繰り返され、偽りの程度が段階的に増大するにつれて、この扁桃体の反応はどんどん減弱していくことがわかりました。すなわち扁桃体は不正直・ウソに順応し、慣れてきて情動・感情が励起されないようになってきくのです。著者らは、この過程を“あたかも坂道を転げ落ちるように〜slippery slope〜”と形容しています。やっぱりそうなんだ、一度ウソをつくと癖になるんだ……“小さなウソからこつこつと・・・・・・”なんて、笑えませんね〜

2本目の論文はマサチューセッツ総合病院のグループが今年1月の「ランセット誌」に発表したものです。以前から慢性的な情動ストレスが心筋梗塞や末梢動脈疾患などの心血管病と関係していることが報告されていて、ストレスは喫煙、高血圧や糖尿病に匹敵するリスク・ファクターと考えられています。しかしなぜストレスが心血管病に結びつくかは明らかではありませんでした。そこで著者らは、平均年齢55歳、293人を対象に組織の位置情報と活動活性を同時に評価できるPET-CT(脳細胞活動、炎症反応、がん細胞増殖などが検出できます)検査を行い、その後平均3.7年観察したところ、22例に心血管病が発生しました。PETで示された扁桃体の活性は骨髄の活性、動脈の炎症と相関していて、後の心血管病の発生と関連していました。また、13例を対象に心理分析を行ったところ、自覚するストレスの強さは扁桃体活性と動脈の炎症と相関していました。

要するに情動ストレスの持続は扁桃体活動を増強し、それによってホンルモン環境や自律神経系の活動が変化して骨髄の免疫細胞を賦活し、免疫細胞が動脈の炎症を引き起こし、最終的に動脈硬化から心血管病を発症するという図式です。ありそうな話だと思う反面、ちょっとできすぎ、という気もしないではないのですが……

でもこの扁桃体なる脳組織、気になります。情動や記憶の中枢というと、何だか自分自身が扁桃体に操られているような・・・・・・読みも“アミグダラ”って、ちょっと梵語っぽいでしょう? 1本目の論文では扁桃体の“ふてぶてしさ”を感じるのですが、2本目では意外に打たれ弱いというか、ひ弱さが見えるというか……さて、2本目の論文の著者らは、発表したデータを踏まえ、私たちが目指すべきは“心理学的wellbeing”であると述べています。「健康であるためにはいつも心に平穏を」……そんなこと、言われなくとも分かっているわ!


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2017年04月01日

Narrative-based medicine(NBM:物語に基づく医療)というパラダイム


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この20年医療のパラダイムは大きく様変わりしました。1990年代初頭に登場した「科学的根拠に基づく医療(EBM)」は、それ以前の医療の科学的根拠の薄弱さという欠点を突き、医療のトップ・ランナーに躍り出ました。しかし、EBMにも問題はあったのです。問題の本質は“本来は診療のツール(言ってみれば単なる道具です)であるEBMが、あたかも教義のように扱われた”ことです。教義には“他の考えを認めない原理主義化”という欠点があります。また、これは必ずしもEBMの責任ではないのですが、診療録も電子化され、「医師が端末画面ばかりみて、話を聴いてくれないし、診察してくれない!」(これは大規模病院でとくに顕著です)と不満をいう患者さんも増えました。「科学的根拠以前に大事なものがあるでしょ!」という批判が起こるのも無理からぬことでした。

「患者の話を傾聴する」ということは医師に限らず医療職の基本中の基本です。英語では”history taking”と呼ばれるのですが、話を聴くことにより“医学記録である病歴”を作成して診断・治療に役立て、同時に“傾聴によって患者の気持ちに寄り添う”ことの意義が昔から強調されていました。しかし「ほんとうの傾聴とは何か?」「そもそも患者は何を語っているのか?」とが問われたのです。

EBMの提唱から数年後、英国の家庭医のグループが「ナラティブ・ベイスト・メディシン(NBM:物語に基づく医療)−実地臨床における対話と語り」という本を出版し、“EBMを補完するもの”として提唱しました。要するに患者にとって“病という体験”は単なる時間軸上の出来事の連鎖ではなく、“語るべき主観的な物語”であり、語ること、医療者と対話することによって新しい物語が生まれ、それが癒やしに導かれることも……というパラダイムです。NBMによって、医療者がしばしば経験する「患者にとって医学的知見や事実だけが必ずしも受入れられる物語とは限らない」ということもうまく説明できます。

私もNBM関連文献にあたってみました。一口で印象を言えば「そりゃそうだろう」です。およそ人が人生を生きていくなかで、少なくとも記銘されるような出来事が単なる”インシデント”として心に残っている、などあり得ないことです。記憶や想い出は、語られるときにのみ具現化します。同じ事を何度も語るときには、その内容は微妙にずれていくことも稀ではありません。病気は人生の中で、極めて重要かつ深刻な出来事です。それを患者さん自らが話す時、“ナラティブ”以外ではあり得ません。

英国の著者らは、NBMの立場に立てば、それまでは“断片的な症状のカタログ”であった病歴が、生き生きとした“物語”として立ち現れるというけど、それはそれで“ナラティブ原理主義”のような印象も……と言うのは、病を得た患者さんの語る物語は、世間に通奏低音の如く流布する“語り部のない物語”に拘束され、不自由になっているという考えがあるのです(1980年代のニュー・アカデミズム旗手の一人、後の東大総長、蓮實重彦先生の御指摘です。ただし蓮實先生の著作は超難解だったので、私の誤解かも知れません)。そこには気をつけておかないと……

ただ、そのような“患者さんの考えを縛るやっかいな物語”は当たり前のように存在しています。だから、患者さんの語る物語のなかには。“自身が語っているようで、実は語らされている物語“もある、と思うのです。そして、それらはしばしば患者さんの心の安定や治療の障害にもなり得ます。まあ、それを言えば、自分の考えと思って語っていても、実はそれは他者の考えであることなど、自身を振り返ってみても、いくらでもありそうだけど……

私は若いときから患者さんの語りを聴くことに馴染んでいきました。ある意味、NBMを道具として使っていたのかも知れません。患者さん相手のみならず、医師同士、あるいは他職種との協調にも役立ちました(副作用として“板挟みの物語”も起こりますけど……)。ひとつ言い訳しておきますと、積極的に道具として使っていたのではなく、そういう習慣が自然と身についただけですので……

いずれにしろNBMは患者−医師関係の構築には欠くべからざるものと思っています。ただ“癒しの物語”を医師から書き始めるのは傲慢ではないかと思うし、また知らず知らずのうちに医師である自分が患者さんのナラティブの登場人物になっていることに気付くと、何だか落ち着かない気持ちにさせられます。“他者の物語”を聴くだけではなく、深く関わるのは、たとえ仕事の上で有益であっても、不遜である気がするのです。

それにね、自分が病気になったときには、自分の語る物語が本物なのか、フェイクなのか分からない……誰に語っているのか分からない……NBMは自身のためには役に立たないな〜

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