2017年07月15日

“終末期医療事前指示書問題”

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今年の4月、京都市が「終末期医療に関する事前指示書」を公表し、配布を始めました(ネットでも公開されています)。人生の終末期の医療について、人工呼吸器、胃ろう(食事が摂れなくなったときに、生命維持のために胃に留置チューブを埋め込んで食事を注入する処置)、看取りの場所など、具体的な項目について、市民があらかじめ意志表示・希望を書式に残せることを目的にしたものです。しかし公表するやいなや、いくつかの団体や識者から「人工呼吸器を使って生きながらえている弱者の生きる道を難しくする」等という非難の声が上がり、撤回を求める動きも起こりました。

この京都市の指示書、簡明ではありますが、内容は修正・撤回は自由であることを明記するなど、押さえるところは押さえていて、私には、裏に“よこしまな意図”があるようには思えません。ただ、終末期や尊厳死など、人の死生観に関わる部分と医療の接点では、言葉の意味内容の混乱やイデオロギーに基づく人それぞれの独自解釈がまかり通っていること、また、そもそも医療に関する自己決定権や代理決定などの概念が主として米国からの“丸ごと輸入品”であって必ずしも日本の文化に馴染んでいないこと、加えて終末期医療に関する日本の法体系が全く存在していないこと、などの理由により、まともな議論さえ難しいのが現状です。

この問題の根本的な難しさは、人はそれぞれの死生観を持っていて、それを重んじた“尊厳ある死に方”をしたいと思っている人は少なくないのでしょうけど、それを明瞭な形で意志表示、たとえば自身が望む具体的な医療内容(living will)や、それに加えて正式に代理人を指定する文書(advance directives)を記載し保存している人は稀だということにあります。従って “肝腎の終末期医療について意志表示すべき時に、身体的理由で意思表明自体が物理的にできなくなっている”ことが非常に多いのです。

法体系で厳密に担保されているわけではありませんが、大原則は「自己決定権はオールマイティ」です。少なくとも医学的に理性的な判断が可能であると判断される状況での本人の意志はよほどの事情がない限り最大限に尊重すべきです。ところが本人の意志が確認できない場合、医療者の患者さんのご家族も困難に直面します。もちろんこのような場合の行動原則はないわけではありません。最も単純な選択肢は“生命を少しでも長らえるために、できることはすべてやる”というものです。この方法の問題点は、“医学的というより情緒的に過ぎる”であることです。

もうひとつの選択肢は“誰かが患者さん自身に代わって決定する”という方法です。よく行われるのが、配偶者、親子など親しい人が決定権を行使する「代行決定(substituted judgment)」です。適当な代行者がいないときには、“理性的な人なら、おそらくこのように決定するであろう”という原則に従って関係者が協議して決定する「受益者最善利益原則(best interests)」という方法もあります。しかし日本では、ここで問題になるのが、このような「代理決定」自体に法的根拠がないことです。ですからつい、“できることは何でもする”という方向に流れてしまいます。それにもし、親しい人の間で対立があって双方の代理人たる弁護士の方たちが登場!したりすれば、もう、めちゃくちゃ混乱します(私も実際に経験しました。それなりにエキサイティングでした。)。

どのような終末期医療を望むか、ということは人生最後の、そしておそらく最大の決断です。これを元気なときに考えて意志表示をしておくことは簡単ではないかも知れません。全州で法整備がなされている米国でさえ、事前指示書を準備している人は少数派ということですから。でも前述の如く、実際に回復不能な病気になってしまうと、意志表示のチャンスを逃してしまうこともよくあるのです。

現代の臨床倫理のグローバル・スタンダードに照らすと、医療者側が守るべきは、@患者さんの自己決定権の尊重とそのためのインフォームド・コンセント(説明と同意)、A最大の恩恵をもたらす治療・ケアの提供、B害を与えないこと、害が益を上回る治療・ケアの回避、C公平・公正であること、の4つです。しかしこれら4つの項目を確実に達成するには、患者さん自身の人生観・死生観・価値観・哲学を知る必要があります。たとえば“恩恵”ひとつとっても、その価値は人それぞれが決めることですから。

大きな病気であればあるほど、患者さん個人の価値観が重要になってきます。人には“他人に知っておいてもらいたい自分の心”がいくつかあるでしょうが、“自身の望む終末期医療”はその中でも特別のものだと思うのです。
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2017年07月01日

便潜血陽性後の内視鏡検査はいつまで先延ばしにできるか?


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大腸がんは日本で増加しつつあるがんのひとつです。最近の推計では、大腸がんの年間罹患数は約15万人弱(男女比約3:2)、年間死亡数は約5万人強(男女比約9:8)であり、女性では死亡数第1位のがんとなっています。従って大腸がんの早期発見が重要ですが、幸い便潜血検査という簡便で有用な検診法が確立しています。

便潜血は通常2回法で行います。便に混じる少量のヒト赤血球成分を敏感に検出し、検診レベルのスクリーニングでの陽性率は約5%、陽性者における大腸がんの頻度は約2%程度とされています。もし便潜血が陽性になれば全大腸内視鏡で精査することがお約束の検診ツールです。そうは言っても、陽性になった時点で内視鏡検査を受けることを渋る方が少なくありません。「え〜っ、大腸の内視鏡ですか〜あれしんどいのでしょう?便潜血もう一回して頂けませんか〜チャンスくださいよ〜」なんて押し問答・・・・・・私の答えは「頂けません!それにチャンスって・・・・・・あなたじゃなくて、大腸がんにチャンスをやるようなものですよ!」それでも「考えさせてください・・・・・・」と言ってお帰りになる方も・・・・・・

しかしこのような状況は日本ばかりではないようです。外国でも医療資源へのアクセスの問題、経済的な問題、個人的な問題で便潜血陽性から内視鏡検査まで、かなり時間がかかってしまうことは珍しくないようです。そこで最近米国のグループが「便潜血陽性が判明した後、どれくらい内視鏡検査が遅れたらやばいのか」という研究を4月の米国医師会雑誌に発表しました。

この研究の対象は55歳〜67歳(平均年齢61歳)の便潜血陽性者で内視鏡検査までフォローできた70,124人(男性52.7%)で、うち大腸がんと診断されたのは2,191名(3.1%)、病期V(リンパ節転移あり)、W(遠隔臓器転移または腹膜播種あり)の進行大腸がんは601人(0.9%)でした。そこで便潜血陽性が判明してから8〜30日以内に大腸内視鏡検査を受けた27,176人に比べて、内視鏡検査施行がどれくらい遅れたら全大腸がんリスク、進行大腸がんリスクが増加するのかを検討しています。

結果は、8〜30日以内に検査を受けた人では、全大腸がんは3.0%、進行大腸がんは0.8%に見られました。そして内視鏡検査が遅れた人(遅延2ヶ月:24,644人、3ヶ月:8,666人、4-6ヶ月:5,251人、7 -9ヶ月:1,335人、10-12ヶ月:748人、12ヶ月以上:747人)をみると、9ヶ月までならリスクはほとんど増加しなかったのですが、10-12ヶ月経過すれば全大腸がんはリスク1.5倍、進行がんリスクは2.0倍となり、12ヶ月以降では全大腸がんリスクは2.3倍、進行がんリスクは約3.2倍にまで上昇していました。

この研究、多少大まかではあるのですが、いくつかの役に立つ情報を提供してくれています。まず中年以降の一般人口における便潜血陽性率ですが、この研究では126万人のうち約10,7000人が陽性でした。陽性率は8.5%です。たぶん日本でも、この年齢層(私たちも含まれます)なら陽性率は5〜10%くらいだと思われます。そしておそらく陽性者の2-3%が大腸がんに罹患しており、1%弱は進行大腸がんであると推察されます(ほぼ日本のデータとも一致しています)。

便潜血陽性が判明した場合“一刻を争って”大腸内視鏡を受けないといけない、とまでは言いませんが、10ヶ月〜1年以上放置すれば大腸がんのリスクは5-8%、進行がんに進展しているリスクは3%にまで上昇している可能性が高い、ということになります。この論文の真に受けて「まあ、9ヶ月までは大丈夫か・・・・・・」と考えるのはあまりに楽観的過ぎると思いますし、わざわざ内視鏡検査までの時間をあける必然性はありません。重要なのは便潜血検診を受けた以上は、その結果を無視せず、内視鏡検査をためらわない、ということです。

まあ、確かに内視鏡検査自体は鎮静剤などを使うとけっこう寝ている間に終わることも多いのだけど、前処置の下剤は“飲みごたえ”がありますからね〜それに鎮静剤を使う時には、絶対に自分で車を運転して帰宅してはいけません。とても危ないです。それでもやっぱり便潜血は重要な検診ツールです。数少ないまともな根拠を持った「がん検診」ですから。便潜血と大腸内視鏡はワン・セット、忘れないで下さいね。
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