2017年09月15日

JFKの腰痛

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JFK、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは言わずと知れた合衆国第35代大統領、1961年1月に大統領に就任すると、人類を核戦争による滅亡の淵まで追い込んだキューバ危機を回避するなど、数々の業績を残しましたが1963年11月22日ダラスで暗殺されました。奇しくも暗殺当日が東京オリンピックを控えての日米衛星テレビ中継試験放送日であり、海を越えた最初のテレビ放送がJFK暗殺事件報道となってしまったのです。

JFKの華麗な生涯と数奇な運命は、書物、映画、テレビで何度も取り上げられ、今もなお、彼の映像を眼にし、言葉を耳にすることは少なくありません。また彼が若い頃から腰痛に苦しんでいたこともよく知られています。最近、アーカンソー大学の神経外科医がJFKの腰痛に関しての論文を米国の学会誌に発表しました(神経外科学雑誌・脊椎 July11,2017)。プライバシーも何もあったものじゃないな〜と思わないではないのですが、JFKは米国では既に伝説の人物です。彼の病気とそれが彼の人生に与えた影響を考察する“パトグラフィー(病跡学)”的な著作が世に出るのも仕方ないのかも・・・・・・

JFKは1917年5月29日生まれ。三歳の時「猩紅熱」で入院、死にそうになったのを皮切りに、幼少期から少年期は病気の連続でした。生涯彼を苦しめることになる腰痛は1937年、大学時代のフットボールでの負傷が契機となったとされています。同じ頃(あるいはもう少し後)から、彼は“長年の胃腸疾患”の改善のために、当時使用可能となった副腎皮質ホルモンのタブレットを皮下に埋め込む!という、現代の常識では “何という無茶なことを!”としか言い様のない治療も始めています。実際、下院議員時代の1947年、ロンドンへの渡航中に“長年の無頓着な副腎ホルモン投与と無謀な投与中断”による「急性副腎不全発作」を起こし、このとき「慢性副腎不全(アジソン病)」の診断を受け、生涯にわたって副腎皮質ホルモンの補充療法を余儀なくされることになります。

さて、大学を終えたJFKは海軍士官となり太平洋戦争の戦地に赴きました。1943年8月2日、ケネディ中尉が艇長を務める魚雷艇PT-109はソロモン諸島海域で日本海軍の駆逐艦「天霧」と衝突、沈没します。この時JFKは重症を負った部下の救命胴衣の紐を口に加えて5時間泳ぎきり、その命を救いました。この出来事はJFKを一躍英雄に祭り上げ、その後の政界進出にも大きな力になったのですが、脊椎・腰痛への悪影響も少なくなかったとされています。

事実、腰痛は悪化しJFKは1944年に第1回の手術を受け、以後生涯で計4回の手術を受けることになりました。しかし手術療法は奏効せず、局所麻酔注射、鎮痛剤の全身投与、コルセット、さまざまな理学療法などが行われましたが、いずれも芳しくありませんでした。この論文の著者らは、JFKの腰痛の原因は単一ではなく、いわゆる急性・慢性腰痛、骨盤の仙腸関節の障害、加えてさまざまな理学療法や頻回の手術による神経根の痛みなどが合わさったものではないか、と考察しています。また、長年の副腎皮質ホルモン使用による骨粗鬆症の関与もあったかも知れません。いずれにしろ、当時の“最高峰の名医たち”によって次から次へと行われた治療は、そのいずれもが良い結果を招かず、腰痛はより複雑かつ難治なものになってしまったようです。

また、著者らによれは、腰痛はJFKの最後の瞬間にまで禍を及ぼしました。彼の装着していたコルセットはとても硬かったので、ダラスで第一弾の狙撃(致命傷ではありませんでした)で倒れかけた上体をもう一度引き起こすことになり、頭部に致命的な第二弾を受けることになったというのです。ほんとうに“最後の最後まで”という感じですね・・・・・・

論文の結びには、5年後に兄と同じく凶弾に倒れる実弟、ロバート・フランシス・ケネディの言葉が引用されています。“兄にとって、この世に生を受けていた日々の少なくとも半分は、激しい痛みに耐える日々だった。だが彼が腰痛について愚痴を口にし、またそのような運命を与え給うた神の不公平さについて言いつることは一度たりとてなかった。彼を良く知る人は、顔がほんの少し白くなる、目のまわりの皺がほんの少し深くなる、言葉がほんの少し鋭くなるとことで彼が痛みと戦っているのを知った。しかし彼をよく知らない人は何も気付かなかった。”

今も私の耳に残るのは1961年1月20日の大統領就任演説の一部を抜き出してコーラスを付け、印象的な“together”という言葉のリフレインを配した「Let Us Begin Beguine」という歌です。ぜひU-tubeで聴いてください。きっと聴いたことがある方も多いはずですよ。そして五十数年前にタイム・スリップを!


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2017年09月01日

マンモグラフィーの“高濃度乳房”問題

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乳がんの2016年推定罹患数は約90,000人(女性では第1位)、推定死亡数は約14,000人(女性では第5位)です。患者のほとんどは女性ですが、全体の1%以下ながら男性にも発症し、女性より悪性度が高いことが知られています。乳がんは早期発見・早期治療による死亡率減少を目指した公共政策の対象となっていて、公費を投入する「対策型検診」が行われていますが、検診ツールとしては唯一科学的根拠をもって死亡率の減少が示されているマンモグラフィーが採用されています。

ところが最近、メディアでマンモグラフィーにおける“高濃度乳房”の問題が取りあげられました。マンモグラフィーでは脂肪組織は黒く、乳腺組織は白く撮像され、乳腺組織の濃度が高い“高濃度乳房”の方では、乳房全体が白く撮像されることになります。ところが検診の標的となる小さながん組織もまた乳腺組織と撮像上、類似したパターンを呈するため、高濃度乳房の人では、乳がん組織と正常の乳腺組織の区別が紛らわしくなります。やっかいなことに日本人の受診者は高密度乳房の頻度が高く(約40%)、これらの人たちは乳がん発生のリスクが低密度の人に比べて高いのにもかかわらず、“がんの所見が背景の高濃度乳房像に埋没してしまう”可能性があり得るのです。「それなら“高密度乳房”の人たちには、その旨伝えて、診断精度が低下する可能性があるということを説明すべきじゃないか」という意見がでてくるのも当然のことかと思います。

この問題について、今年の3月に日本乳癌検診学会・日本乳癌学会・日本乳がん検診精度管理中央機構の3団体が連名で提言を発表しています。この提言では“受診者の情報を知る権利は尊重すべきではあるが、現時点で自治体が行う対策型検診において、一律に乳房濃度だけを伝えるのは十分とはいえず、時期尚早”との結論に至っています。

この提言を聞いて、多くの方は「そんなのおかしいだろう!何も隠すことはないじゃないか!」と思われるのではないでしょうか。私も“臨床倫理”の観点からみて、「検診で得られた意味のある全情報は受診者に帰属すべき」が正論だと思います。しかし学会三団体の提言には“時期尚早”という判断には、それなりの理屈があるようです。

もしマンモグラフィーが一般診療の場や、任意型検診で行われたのなら、当然高濃度乳房の情報は患者に伝えられて、ではどうするか、次に何かするのか、しないのかについて医師と患者で相談することになります。要するに第一の問題は現行のマンモグラフィー検診が「(公費負担・政策による)対策型」であることに起因しているのです。「高濃度乳房は乳房の性状であり、病的所見や疾病ではない(それはそのとおり)」ので、高濃度乳房を理由に「要精密検査」と判定してはならないし(ルールとしてはそのとおり)、それゆえ「保険診療による追加検査の実施」は認められない、ということになります。もし受診者が追加で超音波やMRIの検査を希望するなら、それは自費診療となります。

第二の問題は、もし高濃度乳房を「検診精度を低下させ得る要因」と判断して受診者に通知するのならば、その結果の説明や、二次検査施設への紹介を含めたプロセスの整備、そのための自治体と医療機関の連携システムなどを確立する必要があります。その際には二次検査として超音波検査が選択される可能性が高いのですが、そうなると診療機関の乳房超音波検査に受診希望者が殺到し、本来検診を目的としていない診療現場が混乱することが危惧されます。また第三の問題として、超音波検査を含め、そもそもマンモグラフィー以外の検査を用いた検診には、乳がん死亡率を減らせるという科学的根拠がない、という事実があります。

最近の学会報告で、超音波をマンモグラフィーに併用すれば乳がんの発見率や正診率が改善する、という報告がありました。検査方法を追加すれば発見数が増え、正診率が上がるのは当然です。しかし拠り所とすべきことは、あくまで当該がんの死亡率減少効果の有無です。乳がん検診の効果については、今も世界レベルで精力的に研究が蓄積されつつありますが、一定の死亡率減少効果は認められてはいるものの、検診の真の価値については未だ議論があるところです。

それでも私はマンモグラフィーの結果について、乳房の濃度は付記して受診者に通知すべきであろうと思います。もちろん公共施策としての対策型検診は個人の意思による任意型検診とは意義も目的も異なります。しかし、既に高濃度乳房の問題点が世間に明らかになり、ネットで情報が拡散した現状では、“問題はあるけど従来どおり”という方針は何も解決しません。受診者が一旦不信を抱けば、対策型検診は、その役割を果たせなくなると思うのです。

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