元市立豊中病院病院長の片桐修一さん(小西ホーム)が最新の論文を元に気になる医療情報を語ってくれます。
2020年02月15日

“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”私たちの同期でご存じない方はまずいないでしょうね。いしだあゆみさんの大ヒット曲、「ブルーライトヨコハマ」です。ネットで調べるとこの曲のリリースは1968年の12月25日だったそうですが、ブレイクしたのは翌年からです。ちょうど高三の冬なのでこの曲を聴きながら大学受験勉強にいそしんでいたことになります。記憶をたどると、何といっても1969年1月安田講堂攻防戦が勃発して東大入試が中止になったのはインパクトがあったな・・・・・・あれからもう半世紀とは、まさに光陰矢の如し。
ちょっと前置きが長くなりましたが、今回は「ブルーライト(以下BL)が寿命に及ぼす影響」についてのお話です。「なんだ、思い切り引っ張ってそれかよ〜」と言わないで下さいね。字数の都合とかいろいろありますので。BLと言えば、2014年ノーベル物理学賞の“青色発光ダイオード(LED)”ではなくて、つい“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”が出てくるところが年齢のなせる業でしょうか。
BLとは波長380〜500nmの可視光線をいいます。LED照明と電子機器の普及によって、ごく身近な存在となりましたね。照明機器以外の三大BL曝露源はスマートフォン、電子ゲーム、パソコンだそうです。光・電磁波を波長の短い順番で並べると、BLは紫外線A波のすぐ後に位置します。紫外線に近いということは、可視光線の中では最も高エネルギーを持つということです。ですから植木等さんではありませんが、“そりゃ、体にいいわけないよ、わかっちゃいるけどやめられない”(「スーダラ節」1961年)ということになります。
確かに以前よりBLが睡眠やサーカディアンリズムに良からぬ影響を与え(米国科学アカデミー紀要 2015年)、皮膚老化(フリー・ラジカル生物学・医学誌 2017年)や、うつ・糖尿病・高血圧・肥満・がんなどの加齢関連疾患に関連しているという報告(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌 2017年)はあったのですが、実際に寿命に及ぼすBLの影響についての実証的な研究はありませんでした。そこで今回、米国オレゴン州立大学のグループはキイロショウジョウバエを用いた寿命実験を行い、その結果を発表しました(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌2019年)。
「なんだ、ハエか」と言ってはいけません。キイロショウジョウバエは昔からヒトの睡眠や日内変動、あるいは寿命関連の研究に用いられ成果をあげている実験対象なのです。驚くことに多数の重要な疾患関連遺伝子が人類と共通しているとされています。もし見つけても、簡単に殺虫剤などを振りかけないで下さいね。そうは言っても、ふつうのハエと見ても区別つかないけど・・・・・・
それにヒトを対象とした寿命実験など行った日には、結果がでるまでに莫大な時間を要するので、研究費が保たない、それ以上に研究者の寿命が保たない・・・・・・いずれにしても非現実的です。やはりここは動物実験しかありません。
結果はなかなか興味深いものがあります。1日12時間BLを浴びたハエは、24時間暗闇で過ごしたハエや1日12時間BLをカットした白光を浴びたハエに比べて有意に寿命が短く、網膜細胞と神経細胞に変性・損傷が生じ、壁を登る能力も低下していました。脳の神経細胞変性は、眼のない突然変異体のハエにおいても認められているので、脳への影響は必ずしも眼を経由しているわけではありません。また老いたハエではBL曝露によりストレス応答遺伝子が発現していました。この現象は若いハエでは見られないので、著者らはBL曝露の蓄積は老化の過程でストレッサーとなりうる、すなわちBLは老化を促進する可能性があると推論しています。
ストレス(ここでは生物学的・物理化学的な“侵襲”という意味です)に応答するシステムはいかなる生物にも存在しています。ストレス状態は生命体にとって危機ですので、生命体は免疫・炎症などのシステムを起動して対応します。これは危機回避のためには必須の反応なのですが、皮肉なことにこれが積み重なれば生命体を害する、というジレンマがあります。たぶんハエの寿命短縮もこれに関係しているのでしょう。
聖書を読まれたことがある方はご存じかと思いますが・・・・・・「創生記第1章」の有名な言葉を紹介します。私のような不信心者が僭越の極み、恐れ多いことですが、New King James Versionの聖書・英語版を訳させて頂きます・・・・・・ “神は仰せられた。「光あれ。」すると光が立ち現れた。神は光をご覧になり、「良きかな。」と思し召された。”
さあて、神様はBLについてどう思し召されるかな?きっと「良きかな。」じゃないでしょうね。BL、どう考えてもやっぱり使い過ぎですよね。
「汝、信号だけにしておくべし。」というご託宣がでそうな気がします。
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日記
2020年02月01日

昨年の10月22日、大阪府医師会主催「大阪の医療と福祉を考える公開討論会 “がん医療を考える−その知識、本当ですか?”」で演者としてお話をさせて頂く機会がありました。40年近く血液がん治療に従事していたのですが、何の因果かここ数年は自分自身が主ながん治療を一通り受けるはめになったうえに、大阪府医師会の仕事にも長く携わっていたのでお呼びが掛かりました。まあ、発病当初にいくつかの仕事をドタキャンした経緯もあったので、ここは借りを返しておこうと思ってお受けした次第です。
この公開討論会での私の主な役目は、“患者になった医師の経験談”を語ることだったのですが、加えて終末期医療に関する最も新しい取り組みである「アドバンス・ケア・プランニグ(Advance Care Planning ACP)」についても意見を述べるように依頼されました。ACPについては知らなかったわけじゃないけど、公開討論会ともなれば、いいかげんな事も言えないので、使い慣れた手法である文献検証を基本に責を果たすことにしました。
2017年7月15日付けのこのブログで京都市が公表した終末期医療のための「事前指示書(Advance Directives AD)」のことを書いたのですが、このADにしろ、生前の意思表示(リビング・ウィル)にしろ、お世辞にも浸透してきているとは言い難いのが現状です。これは“終末期に能動的に取り組むのが文化的に馴染まない”“医療従事者などの人的資源が不足している”“日本ではADに法的拘束力がない”など、さまざまな理由(言い訳?)が挙げられていますが、どうもそれだけではないようです。そこに登場したのがACPです。
ACPには終末期医療の質を向上させ(患者さんや家族の満足度を高める、と言い換えても良いと思います)、かつ“無意味な(益が害を上回らない)医療”を避けることなどが期待されていて、厚生労働省はACPの愛称を「人生会議」と命名してその認知度をあげ、浸透を図っています。まあ、それにしても、もうちょっとマシな愛称がなかったのかな〜 “死”とか“終末期”とかの言葉を避けたかったのは分かるけど。個人的には“トワイライト・カンファレンス”なんか良いと思うのだけど・・・・・・でもこれだと夕方に行う会議と間違われるかもね。
ACPとは、患者さん本人、家族、その他の親しい人(代理決定者を含む)、医師・看護師・ケースワーカーなどの医療従事者などが一同に会して、患者さん自身の“一番大事にしたいこと”を基軸にして、今後踏み込んでいかざるを得ない“人生の黄昏”でどのようにケアを行っていくかを話し合い、記録し、共通理解を持つという試みです。ここで重要なのは、ACPは常に更新されるべきもの、ということです。人の気持ちは変わります。一番大事なことも死生観も変わって行く可能性があり、ACPもその都度更新されるべき、というのが考え方の基本なのです。まあ、口で言うほど実行は簡単ではありませんが。
ADがそうであったようにACPも“舶来の概念”です。欧米でもAD→ACPという流れになっているようです。というのも、かなり以前からADが終末期医療の質向上にさほど寄与しないという報告(米国医師会雑誌 1995)がある一方、ACPは患者・家族の満足度を高めるとされています(英国医師会雑誌 2010)。ただしあまり早すぎる時期にACPを行うと有益性が低下するようです(米国医師会雑誌・内科学2014、精神腫瘍学 2016)。これは元気な時や健康な時にACPを行っても、その時に当事者(患者)が下した意志決定は安定せず、時が経つと容易に覆るからです(米国医師会雑誌・内科学 2014)。
ではACPはいつ行うべきか?それを決めるための指標として最も優れているとされているのは「サプライズ・クエスチョン」です。この指標を用いるのは、最も多くの患者情報を持つ主治医です。その内容とは、「この患者さんが1年以内に死亡したら驚きますか?」です。この質問に対する主治医の答えが「No、驚かない」のであれば、ACPを行う時期にきている、ということになります。ずいぶん荒削りな質問・・・・・・と思われるかも知れませんが、この質問には近未来の死亡に関する高い予測力があることがイタリアのグループから報告されていて(緩和医療誌 2014)、メジャーな欧米のテキストにも記載されています。
とはいえ、ACPを行うにあたっては、忘れてはならないことがあります。患者さん自身が“ACPを受けたい”という状況でなければ始めてはいけない、ということです。終末期医療についての不安や拒絶がある以上、ACPはその効果を発揮できないと考えるべきです。
確かにACPは“欧米(とくに米国)流の自己決定権至上主義”に根ざしている感はあります。実際、オランダの研究によればACP関連の研究の80%以上が米国発です(緩和医療誌 2014)。とはいえ、“人生の最終決定は自分で決める”というのは、国境を越えたここ日本でも、決して間違ってはいないと思うのです。
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