2020年07月15日

イヌはネコよりヘビ毒に弱い〜消費性凝固障害の話

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幸いにしてまだ道端で毒ヘビにお目にかかったことはありませんが、学生時代に沖縄に旅行にいったときに、土地の人から「夜に散歩するとハブにやられるぞ」と脅かされました。“貸しマングース”があれば安心できたのにな〜

ヘビは全世界に約3.000種が棲息していますが、その中で危険な毒をもつものは約15〜20%、多くはマムシの仲間です。毒ヘビに咬まれる事故は米国で年間約45,000件、死者は70人位だから致死率はおおむね0.15%、日本では年間約3,000件で死亡は数人ですから致死率はほぼ同じです。ただ全世界では、年間10万人以上が毒ヘビ咬傷で命を落としているそうです(メルク・マニュアル 第20版 2018)。

ヘビの毒は酵素活性を持った複雑な蛋白質から構成されているのですが、主な毒性は二つあり、ひとつは血管の透過性を高める作用で、局所の浮腫・腫脹を引き起こし、高度になれば循環血液量が減少してショックや腎不全を起こします。いまひとつは血液凝固の引き金を引くことによって、血液中の止血凝固のための多種多様の蛋白が消費されて枯渇し、その結果重篤な出血が生じます。後者の病態は「消費性凝固障害」と呼ばれています。

毒ヘビ咬傷はヒトだけでなくペット、とくにイヌやネコにも起こります。その際、イヌはネコよりずっと致命率が高いのです。その機序について豪州の研究者が専門誌に研究成果を発表しました(比較生化学と生理学 Part C:毒性学と薬理学 5月3日 オンライン 2020エルゼビア出版)。

豪州では、ペットの毒ヘビ咬傷の3/4は「東部褐色ヘビ」によるものですが、イヌやネコが死に至る場合、そのほとんどがヘビ毒による「消費性凝固障害」が原因となります。しかしイヌとネコでは生存率に大きな差があり、抗血清の治療が行われなかった場合、イヌの生存率はわずか31%ですが、ネコの生存率は66%でした。また抗血清治療を行った場合でもネコの方が、有意に生存率が高かったのです。

このような差が生じる原因を明らかにするために、著者らは「東部褐色ヘビ」の毒を含む11種のヘビ毒をイヌ・ネコの血漿に添加して凝固活性を検討しました。その結果、どの毒を用いてもイヌの方がネコより迅速に血液が凝固することが分かりました。すなわちヘビ毒に曝露された場合、イヌの方がネコより「消費性凝固障害」が生じやすいことが明らかになりました。

加えて、イヌとネコの習性の違いも関係しているそうです。ヘビと出会った場合、イヌは嗅覚に頼って鼻を近づけて咬まれてしまいます。イヌの鼻には血管が豊富に分布しているので、咬まれたときの毒のまわりが早いのです。一方、ネコは“ネコパンチ”の手を出して触ろうとします。そのため咬まれた時のリスクはネコの方が低い・・・・・・ほんとかな〜まあ、ありそうな話だけど。

血液止血凝固機構はなかなかよくできた仕組みで、何事もなければ、複数の止血凝固蛋白は何の反応も起こさずに静かに血液中を循環しています。しかし一旦血管が破綻して出血が起こると、その刺激が引き金となって、止血凝固蛋白は次々に活性化され、あたかも連なる瀑布に水が流れるように一連の反応が進み、最終的に血管の破綻部分を凝固した血液が覆って止血します。止血の完成とともに一連の反応は停止し、もとの状態に戻ります。もしこの反応がヘビ毒のような外来物の注入で起これば、一連の反応は制御されずに進行して止血凝固蛋白は消費し尽くされてついには枯渇し、重篤な出血が起こり得ます。これがヘビ毒による「消費性凝固障害」の本態です。イヌでもネコでもヒトでもこのようなことがヘビ咬傷で起こるわけです。

むろんヒトの「消費性凝固障害」は、ほとんどの場合ヘビ咬傷以外のさまざまな原因で起こります。血液がんである急性前骨髄球性白血病(APL)、産科的大出血・巨大血管腫・解離性大動脈瘤などの急性に生じる大きな体内血腫、重症感染症などに合併する微小血栓多発による播種性血管内凝固症候群(DIC)などが知られています。とくにAPLによる「消費性凝固障害」は病態生理の点でヘビ咬傷と似たところがあり、血液凝固を引き起こすヘビ毒が注入されるかわりに、白血病細胞から血液凝固の引き金をひく活性をもった蛋白質が分泌されて急性かつ重篤な出血傾向が起こります。しばしば病初期に致死的な脳出血や肺出血が生じるのですが、最近は非常によく効くAPL専用の抗白血病薬があるので、治療成績は昔より格段に良くなりました。

私が医師になった頃、商品名レプチラーゼという止血剤(注射剤)がありました。この薬剤は蛇毒から精製・分離されたヘモコアグラーゼという酵素製剤です。私自身はもう40年以上使っていませんが、つい最近まで薬として認可されていました。しかし昨年製造中止になったようです。原因は科学的根拠不足か、はたまた原料の毒ヘビの不足か・・・・・・いずれにしろ薬剤としての役割は終えた、ということでしょうね。

posted by みみずく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記