
“人は、いつかは老いる”というのは誰もが知る真実です。それだからこそ、大昔から不老不死にまつわる伝説や物語があるのでしょうね。人のみならず、ヒトの体を構成する細胞もいつかは老います。というより、細胞が老いるからヒトも老いるというべきですね。
「細胞老化」の概念を始めて示したのは、米国の解剖学者であったレオナルド・ヘイフリック博士です。ヘイフリック先生はヒトの皮膚から採取した線維芽細胞を培養すると、常に一定回数の細胞分裂を経た後で永久に分裂を停止する(すなわち増殖が止まる)ことを発見しました。また彼は、分裂を停止したからといって直ちに細胞が死んでしまうわけではなく、この状態で長時間培養してもなお細胞は生きていることを示し、これを「細胞の老化」と名付けました(実験細胞研究誌 エルゼビア出版 1961年)。
その後、多くの研究者がこの実験を追試したのですが、採取した臓器によって固有の分裂回数が決まっていて、そこに達すると細胞は老化し、増殖が止まることが確認されました。この原則から外れて無限の増殖能を維持し続ける細胞は、「がん細胞」と「さまざまなタイプの幹細胞」だけです(人工的に作られたiPS細胞も幹細胞の一種です)。
生体でおこる細胞老化の原因は、さまざまなストレスによる遺伝子(DNA)損傷の蓄積だと考えられています。DNA損傷がわずかなうちは修復も可能ですが、それが蓄積すると、老化のスイッチが入ってしまうわけです。もっとも細胞の老化自体は、生体にとって必ずしも常に不都合な現象というわけではありません。発達過程や外傷からの回復過程の組織再構築には、細胞老化は必須のメカニズムでもあります。ただ老化細胞からは、さまざまな種類の生理活性物質(炎症性サイトカインなど)が分泌され、周辺の細胞に悪影響を及ぼすことが知られていて(「老化関連分泌現象」と呼ばれます)、慢性炎症や腫瘍の発生に関連していることも事実です(細胞生物学傾向誌 セル出版 2018年)。そうなると、この“老化した細胞”を除去すれば、生体にとって“明るい未来”が来るのではないだろうかと考えるのは、あながち突飛な考え方ではありません。
ちょっと話が逸れますが、実社会に出て職について、いくばくかの経験を積むと、上の世代のやり方に対して不平・不満を抱くようになるのは珍しいことではありません。「あのひとたちは、とにかく何においても古い!古過ぎる!」、一方、上の世代の人たちは「もう、最近の若い者はなってない!」という慣用句で対抗し、“世代間対立”が生まれます。でも、ほんとうに恐るべき事は、ついこの間まで「もういつまでも旧態依然の人たちにまかせてはおけない!」と言っていた自分が、いつのまにかその“旧態依然の人たち”の立場になっていることになかなか気付かないことです・・・・・・あるときそれに気付くと愕然となるのですよね〜人間社会のレベルでも細胞間レベルと同じような“老VS若”の構造があるように思えるのです。
さて、話を細胞老化に戻しますと、最近大阪大学のグループは老化したリンパ球の一種であるT細胞を生体から除去するワクチンの開発に成功し、専門誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」(2020年5月18日 オンライン版)に発表しました。ある種の実験マウスは高脂肪食で飼育すると、耐糖能低下(糖尿病傾向)や脂肪組織での慢性炎症が生じ、ヒトの生活習慣病類似の病状を呈してきます。このとき脂肪組織では老化T細胞が増加しています。この研究では、老化T細胞を除去するワクチンを作成して投与することにより、高脂肪食で飼育しても血糖上昇が抑制され、脂肪組織の炎症も軽減されることが示されました。
ヒトでも、肥満・耐糖能低下・脂肪組織での老化T細胞の蓄積・慢性炎症がメタボリック症候群や心血管病にリンクする、という現象は実際に起こっていると考えられています(サーキュレーション誌 2012)。一方、老化T細胞はその表面抗原のパターンから他の細胞と区別することができるので、この研究が示すように、それを除去するようなワクチンを作成することは可能と思われます。そしてうまくいけば・・・・・・老化を遅らせて若さを保つ、病気から逃れる、という夢のような未来を手に入れことができるかも知れません。
しかし、私たちはもう、若くはありません。ただ、そんなに“老い”を毛嫌いしなくても、今までそれなりに貢献してきたし、老いてはじめて見える景色もあるのだから・・・・・・とつい“老い”の肩を持ちたくなります。
でもね、“出番を終えたら舞台を降りる”というのは仕方のないことだと思います。トルーマン大統領に解任されて連邦議会での最後の演説(1951)に臨んで、「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ(Old soldiers never die, they just fade away.)」と言ったマッカーサー将軍もきっとそう感じていたのだと思うな〜