
ヒトには“常に生体を同じ状態(恒常性)”に維持するための「免疫系」が備わっています。免疫系は「自己」と「非自己」を識別して非自己を排除します。非自己は自己にとって有害な分子であり、免疫系を賦活する物質=抗原でもあります。この原理によって免疫系は非自己と認識された病原体やがん細胞などを排除しますが、原則として自己の細胞や組織、あるいは無害な環境成分には反応しません。
とはいえ、免疫系も完璧ではありません。病原体を排除できなかったり、がん細胞の増殖を許したり、生体には無害であるスギ花粉に反応してアレルギー性鼻炎を起こすこともあります。また自己の細胞や組織に対して免疫反応が惹起されて細胞や組織の障害を生じる「自己免疫疾患」が発症することも少なくありません。
免疫の中核を担うのは白血球のひとつであるリンパ球、そのなかでも「T細胞」です。自然界には無数の抗原が存在しますが、ヒトには、そのすべての抗原に対して反応するT細胞のレパートリーが用意されています。その中には自己成分・自己抗原に対して反応するT細胞も含まれているのですが、これらの自己反応性T細胞は以下の二つの機序によって無効化されています。
ひとつは免疫系形成の初期段階で自己成分に出会った自己反応性T細胞は“自殺プログラム”が作動して消去されること、もうひとつは、たとえ生き残った自己反応性T細胞があっても、「制御性T細胞」という免疫反応を抑制する機能を持ったT細胞によって押さえ込まれるという、二重の安全装置によって簡単に自己免疫反応が作動しないように設計されています。最近の研究で、とくに後者が重要であることが分かってきました。
しかし実際には、さまざまな組織・臓器に対して自己免疫現象が起こることによって多種多様な自己免疫疾患が発症します。そのなかでも最も頻度が高い「橋本病=自己免疫性甲状腺炎/甲状腺機能低下症」の有病率(一般人口に占める病気の割合)は女性で10〜12%(男性でも2〜3%)にも達します。“制御”は必ずしも十分とは言えないようです・
自己免疫疾患の発症には複数の要因が関与していると考えられています。遺伝性素因、性ホルモン(一般に自己免疫性疾患は女性に多い)、ある種の感染症、環境化学物質、薬剤などなど・・・・・・そして近年、少なくとも一部の自己免疫疾患が増加しつつある、とする報告があります。たとえば“自己免疫疾患の典型的モデル”とされ、他臓器に多彩な病変を来す「全身性エリテマトーデス(SLE)」(リューマトロジー・インターナショナル誌 2018)や自己免疫によりインスリン分泌が枯渇する「1型糖尿病」(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メデイシン誌 2017)などがそうです。
しかし、ほとんどの自己免疫疾患は無症状から典型的な症状を示す例まで臨床像に幅があり、診断基準や検査法も時代によって変化しているので、その発生頻度や有病率を異なる時代間で比較するのはそう簡単ではありません。そこで別のアプローチとして特定の疾患ではなく、「自己免疫疾患の普遍的なスクリーニング検査」の陽性率を比較する、という方法があります。
自己免疫疾患のスクリーニング検査として最も頻用されているのは「抗核抗体(ANA)」という自己抗体を検出する検査です。かなり以前からずっと同じ方法で測定されている、という点からも目的に適います。この検査はヒトの細胞核成分に反応する自己抗体を蛍光顕微鏡で検出する検査なのですが、SLEやその近縁の自己免疫疾患ではほぼ100%、そのほか多くの疾患で高い陽性率を示すことが分かっています。通常は40倍希釈の血清で反応させた場合に陰性であれば
“正常”と判定します。欠点は健常人でも十数%は陽性になることですが、それでも多数の検体でのANAの陽性率を時代間で比較すれば、“自己免疫現象の時代間での陽性率の変遷”についての情報を得ることができます。
そこで米国の国立環境衛生科学研究所のグループは全国健康栄養調査のデータデースから14,211人のANAデータを抽出し、1988-1991、1999-2004、2011-2012の三つの期間でANA陽性率を比較しました(米国リウマチ学会誌 2020)。ANA陽性率は、11.0%(1988-1991)、11.5%(1999-2004)、15.9%(2011-2012)で、経時的な陽性率の上昇が認められました。とくに12-19歳の思春期世代では最初の時期に比べ第2期、第3期はそれぞれ2.02倍、2.88倍と増加傾向が明瞭でした。経時的増加は男性でも女性でも、50歳以上の世代にも、また人種を超えても認められました。
ANA陽性率が上昇しつつあると言っても、それが自己免疫疾患の増加に繋がるかどうかはまだ分かりません。ただここ30年の環境変化が、あるいはヒトの免疫系に対しても何らかの負荷を与えている可能性はあると思われます。それが人類に何をもたらすかについて注意深い観察はしておくべきだろうと思うのです。