2021年03月16日

ラスト・ブログ

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このブログがアップされているということは、皆さんとは「幽明境を異にした」ということですね。とにもかくにも、今までの友情に厚く御礼申し上げます。

第1回のブログで書きましたように、2013年5月半ばに急激な体重減少に気付きました。「まずい!」と思って血液検査を行って、「これはやばい!」という結果がでたので、がん病巣を検索する陽電子放射断層撮影(PET)を受けて胃がんの診断に到達するまでは4日間、手術まで2週間でした。4月以前は何事もなく、5月に入っても体重減少以外には何の症状もありませんでしたが、既に“絵に描いたような進行がん”でした。まあ、良くあることなのですが。

1975年に医学部を卒業して以来、そのキャリアのほとんどを内科、とりわけ血液内科領域でのがんの診断と治療を専門にしてきたので、進行胃がんが見つかったときには、さすがにちょっと恥ずかしかったな〜もっとも病理検査の結果(病理学は嫌いじゃないので、自身でも顕微鏡で確認してみました。まあ、宿主に似ない“凶悪な面構え”でした)とその後の経過を考えると、非常に“未熟ながん(=とにかく増殖速度が速い)”だったので、毎日体調に気を配っていたとしても、あと10日早く見つけられたかどうか・・・・・・まっ、言い訳だけど。

その後の経過は率直に言って、良くも悪くも“短期的予測はしばしば外れ、長期的予測は当たり”感があります。手術後3ヶ月もしないうちに肝転移が発見されて、「こりゃ、すぐに再発するな〜もって2年かな〜(肝転移は“勝負あり”のサインです)」と思ったら、肝転移の局所治療に成功して以後再発なし(たぶん合併症の腹腔内膿瘍=細菌感染症によるがん免疫賦活作用のおかげ)。「こりゃ、相当ツイてるな〜 “プチ奇跡”も夢でないな〜」と思ったら、手術から3年6ヶ月で肺転移出現、しかし肺転移は綺麗に切除できて、他に病巣もなく、「こりゃ、しばらく安定するかな〜」と思ったら、術後わずか1ヶ月で腫瘍マーカーがうなぎ登り・・・・・・やむなく外来化学療法を開始して、途中良く効いた時期もあったのですが、翌年には脳転移が見つかり緊急脳外科手術と術後放射線治療・・・・・・その後数か月の間、脳転移や肺転移を各個撃破しているうちに1年ほどの平穏な期間も過ごせたのですが、2019年11月にリンパ節転移が出現、その後は負け戦というか、先細りというか・・・・・・医師としてがん治療計画に参画し、最終決定を下した最後の症例がまさか自分自身になるとは・・・・・・別な言い方すれば、血液学分野を中心に、かなり広くがん診療に関わってきて、それなりに経験も知識も積み重ねて、いちおう判断力や分析力もあまり老化しておらず(と信じていた)、総合力でピークになったはずの職業的能力を、キャリア最後の7年間(注)、自分のためだけに使うはめになったというのは、「なんだかな〜」という感じです。

ご存じの方もおられると思いますが、この私、とても小心者で自分に自信が持てない、というおよそ医師向きではない性格です。それでも医師になってしまったのですが、他人の人生を預かるような臨床医になれるだろうか、という不安がありました(医学部を選ぶ前に考えろよ、という話なのですが)。そんな不安を抱えながらも、さまざまな巡り合わせで専攻したのが血液内科でした。血液内科では主として白血病・悪性リンパ腫・骨髄腫などの血液がんと再生不良性貧血などの血液難病を扱います。内科の他の分野に比べると、思春期や若者の血液がん患者さんが多いのが特徴です(最近は高齢者の絶対数が増加しているので目立たなくなりましたが)。当時(昭和50年代)の血液内科の治療の中心は血液がんに対する化学療法、難病に対する免疫抑制療法でした。血液がん化学療法については、他の領域に比較すると“ずっとまし”だったのですが、それでも治癒が達成できることは少なく、治療当初は明るい未来を予感させるような劇的な効果が得られるのですが、しだいに治療的抵抗性となり、患者さんも主治医も追い詰められていく・・・・・・その繰り返しでした。

患者さん達が、とりわけ自分よりずっと若い、あるいは同年配の患者さんたちが徐々に終焉に向かっていくのを見るのは、つらいことです。それでも主治医は常に彼らの心の支えにならなければなりません。私は、芯が強い人間ではありませんでしたから、“素の自分”では心許ないので、“違う自分になるのは無理にしても、違う自分になったようにみせねばならない”と考えました。いくら自信がなくても、不安にかられても、その素振りも見せず、「頼りになる主治医」の“着ぐるみ”を着ることにしました。まあ、何とか着続けられたかな、それとも見透かされていたのかな・・・・・・

ただ患者さんにはほんとうに恵まれました。もし私が一人前の医師になれたのだとしたら、それは患者さんたちのおかげです。病床で感じる患者さんからの友愛と信頼の波動は、何事にも代えがたい贈り物でした。とくに “若くして透徹した死生観をもって死に向き合うことができる”たくさんの十代、二十代の患者さんたちのことは、今も忘れられません。なぜあれほど立派に振る舞えるのか・・・・・・私は自分の順番が来たときには、彼や彼女たちには到底及ばないにしても、できるだけ恥ずかしくない態度で受入れようと誓っていました。そうしなければ泉下の(あるいは天上の、でしょうか)私の患者さんたちに会わせる顔がありません。今でも彼らにぜひ聞いてみたい、ずっと気になっていることがあります。

「たとえわずかでも、私はあなた方の力になれましたか?」

着ぐるみを着続けて、私は変わったのか、と言われたら、中身は全く変わっていません。いくつになっても、いかなる職位になっても、昔のままです。だから晴れがましいことや、真ん中で注目を集めることは苦手です。ですから「偲ぶ会」はご辞退申し上げます。だって恥ずかしいじゃないですか(もう生きていないから良いじゃないか、というツッコミは止めてくださいね)。それより同期の皆さんには平均して男性で約10年、女性で約15年の人生が残っています。人生の黄昏の時を十分楽しんでください。先に逝ったものは忘れ去るのも良し、たまに想い出すのも良し・・・・・・せっかくの余生、基本、前だけを向いてラスト・スパート!・・・・・・後ろを向くのは、終焉が見えた時で十分です。それまでは頑張ってくださいね。

私の一番好きな映画・・・・・・高校1年の時に観た「Gone With The Wind」・・・・・・そのラスト・シーンで、ビビアン・リー扮するスカーレット・オハラは「Tomorrow is another day!」と言います。「明日は必ず来る」という訳はしっくりきません。「明日は別の日」「明日は明日の風が吹く」は軽すぎです。たぶんこの言葉は、「明日に希望を託して生きる」という意味だと思うのです。若き日に出会って、先に逝った私の患者さんたちは、まさにそう思って一日一日を生きていたに違いありません。願わくば、みなさまの“それぞれのtomorrow”が希望に溢れたものでありますように!

では、See you again, my friends!(どこで会うんだ、ということは気にせずに)
ありがとう、さようなら。
2020年2月21日作成

(注 7年間 このブログの原稿が書かれたのは昨年ですので、正確にいうと8年間になります。)
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2008年5月24日21みくにフォーラムで講師をしていただいたときの写真(57歳)

片桐修一さんは2021年3月16日午前11時に逝去されました。
心からご冥福をお祈りいたします。

片桐さんをご存じの方はおわかりだろうと思いますが、何事も準備がたいへん早く、このラストブログの原稿も最初は2018年にいただきました。そのあと最近の治療法の進歩のおかげとおっしゃっていましたが、抗がん剤の副作用はあるものの、毎日病院に勤務されて仕事を続けていける状態で過ごされていて、昨年2020年にまた書き直したものをいただきました。
昨年末にも高校同期のメールマガジンに転倒防止策について論文の紹介をしてくださるなど、まだお元気なご様子でした。

ただ年末にはもう治療方法がないので、緩和ケアに移行しないといけなくなってきたと聞いておりました。今年になってしばらく入院されていましたが退院されて自宅療養されていたそうです。先週、電話で少しだけお話しましたが、痛み止めのせいで頭がボッーとしている、呼吸不全を起こしていて少し何かすると呼吸が苦しくなるとおっしゃっていて、このブログの掲載ありがとうと言ってもらったのがお別れの言葉になりました。
2015年2月15日から始まったブログは全部で151、昨日掲載予定のものがこのラストブログになるというほぼ完璧なスケジュールでした。まったく人を待たせたり約束を違えたりしない片桐さんらしいです。3月6日の誕生日は迎えたいなとおっしゃっていて、それもクリアされてきっと約束は全部果たしていかれたのだと思います。

ブログの内容は最新の研究論文を読んで、根拠のきちんとしたものを選んでかみ砕いて書いてくださり、新聞などでニュースになるよりも何カ月も早い情報提供で、科学的な考え方や情報の取捨選択の方法などたいへん勉強させていただきました。

片桐君、長い間ブログの掲載ありがとう!
またお会いしましょう! 
              
2021年3月16日  丸山登志子

posted by みみずく at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月15日

ブログ休載のお知らせ


片桐修一さんは現在再発したがんのために自宅療養中につき、しばらくブログは休載いたします。
またお元気になって、ブログが再開されることをみなさんと一緒に待ちたいと思います。
posted by みみずく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月01日

瞳孔面積で心不全の予後を予測する


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“目は口ほどに物を言う”とは紛れもない事実だと思います。と言うより実際のところ、目(とくに瞳)はそれ以上です。第一、口は嘘をつきますが、瞳は嘘をつかないので(・・・と信じているのですけど、どうでしょうか)そのインパクトはとても大きいです。どれくらい大きいかと言えば、電位で現せば概ね10,000ボルト程とのことです(「君の瞳は一万ボルト」堀内孝雄&谷村信司 1978)。

最近、この瞳孔の面積が心不全の全死亡率を予測する、という論文が北里大学のグループから発表されました(欧州心臓学会心不全誌 2020)。研究対象は急性心不全で入院した870例(67.0±14.1歳、女性37%)で、入院後少なくとも7日以上瞳孔面積を測定した患者さんです。瞳孔面積と全死亡率・心不全による再入院率とを比較検討しています。

結果ですが、平均1.9年(1.0-3.7年)の観察期間中に131例が死亡し、328例が心不全で再入院したのですが、瞳孔面積の大きい群は小さい群に比べて(中央値で二分して、大きい群と小さい群に分けています)死亡率、再入院率とも有意に低く、全死亡率では28%減少、再入院率では18%減少していました。またこの瞳孔面積と死亡率・再入院率との相関は他の因子と独立したものでした。

自律神経は交感神経系と副交感神経系があり、交感神経が緊張すると心拍数が増加し瞳孔は散大(面積が広くなります)します。一般に心不全では心拍数が増加しますので、当初著者らは、交感神経緊張を示す瞳孔面積増大が予後不良に関連すると想定していたようですが結果は逆でした。これについては運動時など心拍増加が要求される時に適切に心拍増加で対応できない状態(「変事性心不全」といいます)が心不全での自律神経障害を反映していて、それが心不全の予後悪くしているのではないかとされているのですが(米国心臓病協会機関誌「循環、心不全」 2018)、同様に瞳孔がうまく拡大しないことも自律神経障害→予後不良に関連している可能性があると推論されています。

この北里大学のグループは昨年、対光反射(瞳孔に光をあてると瞳が縮む反応です。この反応の消失は古典的な死亡確認にも使われます)の復帰時間が心不全の予後と関連することを報告していますが(心不全誌 エルゼビア出版2019)、対光反射復帰時間の測定には動画記録が必要となるのに比べ、今回の瞳孔面積は、暗順応後に静止画像を一枚撮像するだけで結果が得られるので簡便です。またこの瞳孔面積検査を加えると、世界中で汎用されている心不全の予後予測ツールである「シアトル心不全スコア」の信頼性も向上するようです。なかなかどうして、たいしたものだと思います。

多くの古の名医が“患者を見つめる眼差し”の重要性について言及しています。眼差しの先にあるのは、もちろん患者の瞳孔です。真剣に見つめれば患者さんの予後も分る、というのは情緒的にも納得できる気がしますね〜

この“瞳孔面積と心不全”の話は、臓器障害に合併する自律神経障害が予後を悪くする、ということを示唆しています。これに関連した最もよく知られている事例は“糖尿病に伴う自律神経障害”です。糖尿病の場合、検査法で最も良く行われているのが心電図での心拍の間隔(心電図の波形の名称をとってR-R間隔といいます。脈拍の間隔に一致します)の測定です。健常な人ではR-R間隔にはある程度の“揺らぎ”があります。しかし糖尿病性神経障害が進むとこの揺らぎは消失し、固定してしまいます。これもまた予後不良の徴候です。

自律神経からみると、ヒトのもつ機能は、ある程度の揺らぎがあって当然、それこそ健康の証、ということです。何でもそうですよね〜揺らぎがないと人間らしくないです。揺らぎすぎるのも、それはそれで問題だけど・・・・・・

ただ急に現実に戻って恐縮ですが、現在の保険診療では、瞳孔機能検査というのはあるのですが、眼科的疾患以外の内科的疾患としては糖尿病の自律神経障害でしか認められていません。それにこの研究のように7日以上測定は入院でないと無理だし、広く心不全の診療に役立てるには、もう一工夫要りそうです。

それでもさまざまな病気で、しかも進行性の臓器障害を来す病気では、合併する自律神経の異常というのは、今考えられているよりずっと重要なのかも知れません。それを把握するために“瞳を見つめる”というのは優れた方法になり得るような気がします。
posted by みみずく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記