
ネットで検索していたら、ある病気の名前に目に留まり20年前の記憶がよみがえって・・ちょっと調べ直してみました。
よく「感動の実話、待望の映画化!」というキャッチ・コピーを目にしますね。・・でも実話が映画を越えてしまうこともあります。今回は1992年の米映画「ロレンツォのオイル/命の歌(原題Lorenzo's Oil)のお話です。
オドーネ夫妻はイタリア系米国人。1983年、5歳になった一人息子のロレンツォを突然病が襲います。学校での問題行動や歩行障害などの症状が現れ始めました。診断は「副腎白質ジストロフィー(ALD)」という遺伝性疾患、医師からは余命2年と宣告されます。世界的権威のニコライス教授が主導する食事療法の治験にも参加しましたが効果はありませんでした。しかし夫妻は諦めません。
父のオーギュストは世界銀行に勤務する経済学者でしたが、彼は妻と協力し、ありとあらゆる専門書を読み漁り、ALDでは代謝異常により「極長鎖脂肪酸(VLCFA)」が異常蓄積するのですが、「オレイン酸とエルカ酸エステルの混合オイル(オリーブ油と菜種油を混ぜたようなものです)」を服用すればこのVLCFAが低下するのではないかという仮説に到達し、これを合成してロレンツォに投与することを思い立ちます。だがニコライス教授は危険もある性急な投与に反対したのです。その後ようやく英国の老生化学者の協力を得て投与に漕ぎつけることができました。その結果、VLCFAは正常化、全く意思疎通もできず寝たきりであったロレンツォに明らかな改善が得られ、その後彼は30歳まで生き、この奇跡のオイルは“ロレンツォのオイル”と呼ばれるようになりました。
ここで「めでたし、めでたし」なら良かったのですが・・1992年に公開された映画は大ヒットとなり、薬代が年間200万円以上だったにも拘わらず、ALDの子供を持つ親たちは争って「ロレンツォのオイル」を買い求めました。しかし他の子どもたちには効果はほとんど認められず、1993年フランス国立保健医学機構の専門家らが権威ある医学雑誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に「14例の患者に投与したところ、“ロレンツォのオイル”は全く効かなかった」という論文を発表し、同誌の編集委員も「“ロレンツォのオイル”-希望と失望」と題した論説で「映画と現実は違うのだ」と酷評しました。ここに至って“ロレンツォのオイル”に対する批判が一挙に高まり、オドーネ夫妻も詐欺師呼ばわりされる事態となったのです。
しかし思わぬ味方が現れます。映画では両親の情熱に水を差す悪役として描かれたニコライス博士の実在のモデル、ケネディ・クリーガー研究所のモーザー博士です。彼にとって映画は不快なものであったはずですが、それでもオドーネ夫妻をかばう論陣を張り、慎重に“ロレンツォのオイル”の治験を進め、2005年「アーカイブス・オブ・ニューロロジー」に89例の患者に平均7年間投与したデータを示し、まだ神経症状が出現していない段階で投与すれば“ロレンツォのオイル”は有効であることを示しました。連名著者の最後に名を連ねる名誉あるラスト・オーサーはこの研究に協力したロレンツォの父親、オーギュスト・オドーネでした。モーザー博士はわだかまりを捨て、オーギュストへの敬意を表し、この業績を分かち合ったのですね。偉いな〜
ALDはX染色体にあるABCD1という遺伝子の変異によって脂肪酸代謝異常をきたし副腎不全と中枢神経系の脱髄(神経線維を保護しその機能を助ける“さや”=髄鞘が崩壊する)をおこす病気です。患者はほぼ男性に限られ、さまざまな病型がありますが10歳以下で発症する「小児大脳型」が最重症でロレンツォもこの病型です。もっとも信頼性の高い治療法は1982年に始まった骨髄移植ですが、なぜ有効かは未だ明らかではありません。たぶん健常な造血幹細胞が髄鞘を構成するグリア細胞と何らかのコンタクトをすることによって代謝異常が修復されるのではないかと思うのですが・・ただ骨髄移植はリスクが高く症状が進行しないうちに行わないと効果は期待できません。
最近はある種のコレステロール降下剤・糖尿病薬の効果や遺伝子治療も検討されていますが、まだまだ道半ばです。従ってロレンツォのオイルは今でも意義があります。この治療がひとりの患児の両親の途方もない努力と愛情、そして両親と衝突しながらも医学者としての道を貫いた専門家の信念によって生まれたことこそが奇跡であったように思います。
映画の中で父親はオイルの投与を諌めるニコライス教授に「なぜ分かってくれないだ?!」と問いただした時、教授(すなわちモーザー博士)はこう答えます。「あなたが責任を持つのはご自分のお子さんだけだが、私はこの病気で苦しむ現在の、そして未来のすべての患者さんに対して責任を負っているのです」オーギュスト・オドーネ氏は2013年80歳で亡くなりますが、きっとモーザー先生の言葉の意味を理解していたと思うのです。