2017年08月01日

地震予知と疾患予後推定を比べてみると……


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去る5月17日、「ネイチャー誌オン・ライン版」に目を引くコレスポンデンス(論文についての意見や、注目すべき論点を述べた通信)が掲載されました。著者は3月で東京大学教授を退官された地震学者のロバート・ゲラー博士、大阪では有名ですが、東京のマスコミ(とくにテレビ)では無視?されている方だそうです。タイトルは「Seismology: Japan must admit it can’t predict quakes(「地震学:日本政府は地震予知が不可能であることを認めなければならない」)です。ゲラー博士は、科学的根拠も実績もない地震予知や大地震周期説への固執、ハザード・マップ作成を止め、国民に地震予知が不可能であることを率直に伝え、特定の地域の危険に言及せずに、全国で堅実な科学的根拠に基づいた具体的対策をとる方に方針転換すべきだと述べています。博士は6年前にも同様の主張を「日本の地震学、改革の時」と題してやはりネイチャー誌に投稿されています(“Shake-up time for Japanese seismology” Nature 13 April 2011)。

もちろん地震学は私の専門外ですが、30数年前の日本海中部地震から最近の熊本地震までの大きな地震はすべて予知できていなかったこと、東日本大震災では福島原発が壊滅的打撃を受けてもなお、“想定外”とのたまったこと、などを考えるとゲラー博士主張もむべなるかな、と思えます。おまけに地震予知に年間100億円!の予算がつぎ込まれていると聞くと……私の研究にも、もうちょっと出してほしかった……

むろん地震予知に真剣に取り組んでいるたくさんの専門家の方々の努力は認めます。しかし一生懸命にやればそれで良いのか、という問題があります。国家プロジェクトなら、やはり実績を重視すべきでしょう。ましてや国民の命がかかっていますので、「頑張っているのだから」だけでは済まないと思うのです。

地震学は何千年、何万年、あるいはそれ以上の地質学的時間軸で変化をみる必要がある学問でしょうし、信頼できる文書記録はせいぜい過去2,000年分程度、質の高い科学的データの蓄積はおそらく数十年分くらいではないでしょうか。これを医学の世界と比べてみると、私たちはわずか数年〜数十年の時間軸で疾患の経過や最終的な結果(これを「予後」といいます)を予測することを試みます。最新の検査技術を駆使して良質のデータを集めることもできますが、それでも個々の患者さんの予後を正確に把握することはとても難しいです。大きな患者集団であれば、より正確な予後予測が可能になるのですけど・・・・・・そりゃ、地震予知が当たらなくても無理ないな〜と思えてしまいます。

たとえば東南海大地震、地域によっては今後30年間で起こる確率は70%!とか言われていますけど、この確率、乳がんの約5%強を占める「遺伝性乳がん・卵巣がん症候群」の生涯がん発症確率とほぼ同じです。この確率は世界中の臨床症例で確認されていますので、予防的乳房切除や卵巣・卵管切除さえ検討されることになります。こう言ってはなんですが、“今まで当てたことがない人”が特定の地域に、こんな高い確率を高々と宣言して良いものだろうか、と疑いたくなります。最近の大地震は熊本とか、起こる確率の低いはずのところで起こっているのに・・・・・・

勝手な想像をすると、地震予知の研究では、“地震発生に関係があるかも知れない膨大な変異”が観察されるのだろうと思います。その中から予知に結びつく変異を抽出して分析しなければなりません。ここで私が連想するのは、「がん遺伝子変異」です。がん細胞が遺伝子の突然変異で誕生し、不死性や増殖能を得て、ついには進行がんを形成することは、今や疑いのない事実です。ところが、がん細胞の突然変異は驚くほどたくさん起こっていて、実際にがん発症に結びつく変異(これを“運転者変異 driver gene mutation”といいます)はごく一部であり、大多数は直接がん化には結びつかない“乗客変異 passengers gene mutation”であることが分かってきました。運転者変異は約200個、乗客変異は約20,000個が知られています。そして運転者変異が3つ起ると進行がんに至るという考えがあります(“3ストライク−アウト・セオリー”:ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メデシン 2015)。

ひょっとしたら、地震予知の世界では、まだどの変異が“運転者”なのか“乗客”なのか分かっていないのではないかと思うのです。それは仕方のない事だと思います。ここはやはりゲラー博士のおっしゃるように、日本中のみんなが防災意識を高めて準備をして、政府もどこで起こったらどうなるのか、どうしたら被害を最小にできるのか、という現実的な対策をとるほうが理にかなっています。いやしくも科学というのならそれなりの“根拠と実績”が必要です。“根拠のない推論”はよく言っても“大胆な仮説”、悪く言えば“単なるヤマカン”です。


posted by みみずく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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