
「獏(ばく)」という伝説の超自然的存在、ご存じでしょうか?何でも“夢を喰う”のだそうです。悪夢を好んで食べてくれるという話もあるので、悪いヤツじゃなさそうな・・・・・・
さて、この“ナイトメア・イーター”、ほんとうにヒトの脳にも棲んでいるのかも知れませんよ。
メラニン凝集ホルモン(MCH)なる物質があります。この小さなペプチド(アミノ酸が何個か結合したもの)、もともとは魚類で発見され、皮膚にあるメラニン産生細胞を凝集させて体色を白く変化させる作用を持っています。このMCH遺伝子、哺乳類でも種を超えて広く保存されているのですが、哺乳類ではもはや体色を白くする作用はなく(あったら美白商品として通販で売れるのにね〜)、その働きは長らく謎だったのです。MCH産生神経細胞(以下MCH神経)はマウスでは視床下部外側野に限局していることが分かっていて、主としてマウスを使った動物実験でその機能が研究されてきました。
最初に注目されたのはMCHと摂食行動との関連です。MCHは視床下部による摂食行動調節に深く関わっていると報告されました(ネイチャー誌1996年、同1998年)。しかしMCHの機能は、どうもそれだけではなかったようです。最近注目されているのは、睡眠・覚醒調節ホルモンとしてのMCHです。
このMSHと睡眠・覚醒調節というテーマについて精力的に研究を進めているのが名古屋大学・環境医学研究所のグループです。彼らはさまざまな遺伝子改変マウスを作成して研究して進めているのですが、なかでも光を使ってMCH神経だけを活性化したり抑制したりできる技術を開発することにより、MCH神経がレム睡眠とノンレム睡眠、両方の調節・制御に重要な役割を果たしていること明らかにしました(米国神経学会誌 2014年)。さらに最近、彼らはMCH神経の重要な機能のひとつとして、“レム睡眠中にみる夢の記憶の消去”があることを報告しています(サイエンス誌 2019年)。
ヒトは人生の約三分の一を睡眠に費やしています。1日8時間も寝ていないぞ!という方も少なくないでしょうけど、それでも幼少児から考えると、今までに少なく見積もっても通算20年以上は寝ていることになります。眠りにつくと、ますノンレム睡眠(脳も体も寝ている)から始まり、ついでレム睡眠(脳は活動していて、目は激しく動くが体は寝ている。この間夢を見ているとされる)に移行する、この約90分のサイクルを目覚めまで繰り返します。レム睡眠時の夢は悪夢も善夢も、目覚めたときにはほぼすべて忘れているのが普通です。
なんのためにヒトは眠りにつき、夢をみるのでしょうか。その答えは分かっていません。ですけど、たぶんそれは脳の機能を正常に維持するための重要なプロセス、あるいはメンテナンス作業ではないかと考えられています。そしてレム睡眠時のかなり荒唐無稽な夢は、その記憶を消去しておかないといけないのでしょう。そして夢の消去を担うのがMCH神経というわけです。MCH神経はいわば“忘却神経”ですね。この機能を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の治療に応用できないか、という着想で研究も始まっているようです。そうなれば多くの人が救われると思いますので、うまくいくと良いですね。
「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」というのは最近大ヒットしたアニメ「君の名は。」(新海誠監督 2016年、なぜか語尾に“。”がある)の中のセリフです。これぞまさしく夢の消去です。一方、良く似た題名だけど私たちが生まれて間もない頃のラジオドラマ「(元祖)君の名は」では「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが一世を風靡したそうです。さすがに記憶はありません。
1970年11月25日、大学生だった私は、講義も早く終わって難波あたりをぶらついていました。その時、突然の号外で知ったあの事件・・・・・・作家三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で人質をとって総監室占拠し、自衛隊員を前にアジ演説をしたあと割腹自殺を遂げました。三島氏は生前、このような言葉を残しています・・・・・・「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。」・・・・・・彼はその思想と行動の苛烈さとは裏腹に、人間の弱さもよく分かっていたはずなのに、どうしてあんなことを、と思わずにはいられません。あるいは彼は自らの悪夢を消去できなかったのでしょうか・・・・・・
このブログ、今年も読んで頂いてありがとうございました。少し早いのですが、メリー・クリスマス、そして良いお年を!おめでたい初夢が獏に喰われませんように。
ではまた来年・・・・・・See you next year, my friends!
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