2020年09月01日

日本の伝統芸能従事者の寿命


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長期間に渡るライフ・スタイルが寿命や死亡率に影響することは周知の事実で、とりわけ運動習慣による死亡率低下は良く知られています。最近東京工業大学・リベラルアーツ研究教育院(昔で言えば“教養部”ですね)のグループが、歌舞伎、能楽、茶道、落語、長唄という日本の伝統芸能従事者の寿命を主として“生涯に渡って継続される運動の強度”という視点から比較する(しかも対照としたのが天皇家、将軍家ファミリー)というユニークな研究を発表しました(パルグレイブ・コミュニケーションズ 5月18日オンライン 2020〜ネイチャー誌グループのWeb雑誌です)。

この研究では1700年以降に生まれた男性伝統芸能従事者699名(死亡566名)のうち、誕生年と没年が二つ以上の資料から確認でき(能楽師は資料が極端に少ないため、一つの資料だけで検討対象に含めています)、かつ戦死、自殺、事故死と20歳に達しない死亡を除いた人を対象として解析しています。対照として男性の天皇家と将軍家ファミリーを選んでいますが、これは当時の最高の食事と医療が提供されていたグループだと考えられるからです。

まず生存曲線を描いてみると、すべての伝統芸能従事者は天皇家・将軍家よりも中央値で15歳ほど長命という結果が得られました(70.6歳VS 54歳)。著者らは“生涯に渡って激しい運動をすると寿命に好影響があるかも知れない”という観点から、当初は「歌舞伎・能楽者の寿命が長い」という仮説を立てたようです。しかし次に20世紀以降に生まれた人について比較すると、予想に反して歌舞伎役者の寿命は茶道・落語・長唄従事者に比較して短命であることが分かりました。そこで誕生年を考慮にいれた詳細な寿命の解析を行ったところ、歌舞伎役者の寿命は短く、天皇家や将軍家と差がないことが分かりました。

まずなぜ天皇家や将軍家の寿命が短いのか、という疑問があります。著者らも分析しているのですが、当時最高の食事といっても寿命延長に繋がるかは別問題です。それらはむしろバランスが悪く、贅沢過ぎる食事だったかも知れません。徳川第14代将軍家茂公は白米と高価な甘い物を好み、「脚気衝心」によってわずか20歳で亡くなりました。今で言えば「ビタミンB1欠乏性心不全」です(今でもインスタントラーメンばかり食べている学生さんなどに時に見られる脚気独特の心不全です)。また天皇家・将軍家の“ストレスフル”かつ“座位が多い”という生活習慣も短命の原因だったという考えもあります。

歌舞伎役者の寿命が短い理由についてはより詳細に議論されています。世襲職であったが故の遺伝的問題、舞台化粧に用いられていた鉛の毒性などなど・・・・・・ただ、これという決定的な要因を指摘するのは難しいようです。歌舞伎役者は幼小期より生涯に渡って厳しい稽古(=激しい運動)を積むであろうと思われます。そこで歌舞伎(しばしば激しい動きを伴うsing & dance;以下著者らの英文説明)を他の伝統芸能と比較した場合、運動面からどのような考察が可能でしょうか。この論文では茶道(tea ceremonies)、落語(telling comic stories)、長唄(playing instruments)はいずれも座位で行う伝統芸能として位置づけています。しかし得られた結果は、激しい運動を行う歌舞伎よりも座位主体の伝統芸能の方が長命だったのです。

以下は私の想像です・・・・・・少なくとも落語家は登場人物になりきる過程で、全身または部分の筋肉運動や呼吸運動を巧みに使っていますし、また長唄は楽器演奏ですから、ともに“全くの静の技”とは言えないように思います。茶道は子供の頃に祖母の指導で二、三度経験しただけなので、全く自信はありませんが、所作のそこかしこに“動”の要素も含む、あるいは何か俗人にはみえない健康上の利点があるのかも・・・・・・いずれにしても歌舞伎以外の伝統芸能は必ずしも“座位の芸能”ではない気もします。

この論文の中では、江戸時代における歌舞伎役者の特殊な社会的地位についても考察されているのですが、やはり短命を説明できるものではないとしています。そして著者らは「この研究結果は日々の職業としての激しい運動が、寿命延長というよりむしろ寿命短縮に繋がることを示唆する」と述べています。

確かに“幼小期から生涯続く激しい職業運動”は健康に害を及ぼし、寿命を短くするのかも知れません。でも別の考えもあります。ひとくちに伝統芸能と言っても、歌舞伎は別格です。とくに江戸期において、歌舞伎役者は良くも悪くも“特別な階級に属するスター集団”でした。そのスター性は現代では想像もつかないレベルだったと思うのです。今に残る当代一流の絵師たちの手による優れた役者絵がそれを如実に物語っています。

日々たゆまぬ厳しい鍛錬と舞台、そして庶民の熱狂・・・・・・たぶんかれらは一日24時間、歌舞伎役者でした。生まれ落ちた時から定められた人生を一気に駆け抜ける生涯・・・・・・やはり節制・健康・長命とは無縁の世界に生きていた人達だったように思うのです。
posted by みみずく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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