2020年02月15日

ブルーライトを浴びすぎると寿命が縮まる?!

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“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”私たちの同期でご存じない方はまずいないでしょうね。いしだあゆみさんの大ヒット曲、「ブルーライトヨコハマ」です。ネットで調べるとこの曲のリリースは1968年の12月25日だったそうですが、ブレイクしたのは翌年からです。ちょうど高三の冬なのでこの曲を聴きながら大学受験勉強にいそしんでいたことになります。記憶をたどると、何といっても1969年1月安田講堂攻防戦が勃発して東大入試が中止になったのはインパクトがあったな・・・・・・あれからもう半世紀とは、まさに光陰矢の如し。

ちょっと前置きが長くなりましたが、今回は「ブルーライト(以下BL)が寿命に及ぼす影響」についてのお話です。「なんだ、思い切り引っ張ってそれかよ〜」と言わないで下さいね。字数の都合とかいろいろありますので。BLと言えば、2014年ノーベル物理学賞の“青色発光ダイオード(LED)”ではなくて、つい“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”が出てくるところが年齢のなせる業でしょうか。

BLとは波長380〜500nmの可視光線をいいます。LED照明と電子機器の普及によって、ごく身近な存在となりましたね。照明機器以外の三大BL曝露源はスマートフォン、電子ゲーム、パソコンだそうです。光・電磁波を波長の短い順番で並べると、BLは紫外線A波のすぐ後に位置します。紫外線に近いということは、可視光線の中では最も高エネルギーを持つということです。ですから植木等さんではありませんが、“そりゃ、体にいいわけないよ、わかっちゃいるけどやめられない”(「スーダラ節」1961年)ということになります。

確かに以前よりBLが睡眠やサーカディアンリズムに良からぬ影響を与え(米国科学アカデミー紀要 2015年)、皮膚老化(フリー・ラジカル生物学・医学誌 2017年)や、うつ・糖尿病・高血圧・肥満・がんなどの加齢関連疾患に関連しているという報告(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌 2017年)はあったのですが、実際に寿命に及ぼすBLの影響についての実証的な研究はありませんでした。そこで今回、米国オレゴン州立大学のグループはキイロショウジョウバエを用いた寿命実験を行い、その結果を発表しました(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌2019年)。

「なんだ、ハエか」と言ってはいけません。キイロショウジョウバエは昔からヒトの睡眠や日内変動、あるいは寿命関連の研究に用いられ成果をあげている実験対象なのです。驚くことに多数の重要な疾患関連遺伝子が人類と共通しているとされています。もし見つけても、簡単に殺虫剤などを振りかけないで下さいね。そうは言っても、ふつうのハエと見ても区別つかないけど・・・・・・

それにヒトを対象とした寿命実験など行った日には、結果がでるまでに莫大な時間を要するので、研究費が保たない、それ以上に研究者の寿命が保たない・・・・・・いずれにしても非現実的です。やはりここは動物実験しかありません。

結果はなかなか興味深いものがあります。1日12時間BLを浴びたハエは、24時間暗闇で過ごしたハエや1日12時間BLをカットした白光を浴びたハエに比べて有意に寿命が短く、網膜細胞と神経細胞に変性・損傷が生じ、壁を登る能力も低下していました。脳の神経細胞変性は、眼のない突然変異体のハエにおいても認められているので、脳への影響は必ずしも眼を経由しているわけではありません。また老いたハエではBL曝露によりストレス応答遺伝子が発現していました。この現象は若いハエでは見られないので、著者らはBL曝露の蓄積は老化の過程でストレッサーとなりうる、すなわちBLは老化を促進する可能性があると推論しています。

ストレス(ここでは生物学的・物理化学的な“侵襲”という意味です)に応答するシステムはいかなる生物にも存在しています。ストレス状態は生命体にとって危機ですので、生命体は免疫・炎症などのシステムを起動して対応します。これは危機回避のためには必須の反応なのですが、皮肉なことにこれが積み重なれば生命体を害する、というジレンマがあります。たぶんハエの寿命短縮もこれに関係しているのでしょう。

聖書を読まれたことがある方はご存じかと思いますが・・・・・・「創生記第1章」の有名な言葉を紹介します。私のような不信心者が僭越の極み、恐れ多いことですが、New King James Versionの聖書・英語版を訳させて頂きます・・・・・・ “神は仰せられた。「光あれ。」すると光が立ち現れた。神は光をご覧になり、「良きかな。」と思し召された。”

さあて、神様はBLについてどう思し召されるかな?きっと「良きかな。」じゃないでしょうね。BL、どう考えてもやっぱり使い過ぎですよね。

「汝、信号だけにしておくべし。」というご託宣がでそうな気がします。



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2020年02月01日

「アドバンス・ケア・プランニグ(ACP)」


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昨年の10月22日、大阪府医師会主催「大阪の医療と福祉を考える公開討論会 “がん医療を考える−その知識、本当ですか?”」で演者としてお話をさせて頂く機会がありました。40年近く血液がん治療に従事していたのですが、何の因果かここ数年は自分自身が主ながん治療を一通り受けるはめになったうえに、大阪府医師会の仕事にも長く携わっていたのでお呼びが掛かりました。まあ、発病当初にいくつかの仕事をドタキャンした経緯もあったので、ここは借りを返しておこうと思ってお受けした次第です。

この公開討論会での私の主な役目は、“患者になった医師の経験談”を語ることだったのですが、加えて終末期医療に関する最も新しい取り組みである「アドバンス・ケア・プランニグ(Advance Care Planning ACP)」についても意見を述べるように依頼されました。ACPについては知らなかったわけじゃないけど、公開討論会ともなれば、いいかげんな事も言えないので、使い慣れた手法である文献検証を基本に責を果たすことにしました。

2017年7月15日付けのこのブログで京都市が公表した終末期医療のための「事前指示書(Advance Directives AD)」のことを書いたのですが、このADにしろ、生前の意思表示(リビング・ウィル)にしろ、お世辞にも浸透してきているとは言い難いのが現状です。これは“終末期に能動的に取り組むのが文化的に馴染まない”“医療従事者などの人的資源が不足している”“日本ではADに法的拘束力がない”など、さまざまな理由(言い訳?)が挙げられていますが、どうもそれだけではないようです。そこに登場したのがACPです。

ACPには終末期医療の質を向上させ(患者さんや家族の満足度を高める、と言い換えても良いと思います)、かつ“無意味な(益が害を上回らない)医療”を避けることなどが期待されていて、厚生労働省はACPの愛称を「人生会議」と命名してその認知度をあげ、浸透を図っています。まあ、それにしても、もうちょっとマシな愛称がなかったのかな〜 “死”とか“終末期”とかの言葉を避けたかったのは分かるけど。個人的には“トワイライト・カンファレンス”なんか良いと思うのだけど・・・・・・でもこれだと夕方に行う会議と間違われるかもね。

ACPとは、患者さん本人、家族、その他の親しい人(代理決定者を含む)、医師・看護師・ケースワーカーなどの医療従事者などが一同に会して、患者さん自身の“一番大事にしたいこと”を基軸にして、今後踏み込んでいかざるを得ない“人生の黄昏”でどのようにケアを行っていくかを話し合い、記録し、共通理解を持つという試みです。ここで重要なのは、ACPは常に更新されるべきもの、ということです。人の気持ちは変わります。一番大事なことも死生観も変わって行く可能性があり、ACPもその都度更新されるべき、というのが考え方の基本なのです。まあ、口で言うほど実行は簡単ではありませんが。

ADがそうであったようにACPも“舶来の概念”です。欧米でもAD→ACPという流れになっているようです。というのも、かなり以前からADが終末期医療の質向上にさほど寄与しないという報告(米国医師会雑誌 1995)がある一方、ACPは患者・家族の満足度を高めるとされています(英国医師会雑誌 2010)。ただしあまり早すぎる時期にACPを行うと有益性が低下するようです(米国医師会雑誌・内科学2014、精神腫瘍学 2016)。これは元気な時や健康な時にACPを行っても、その時に当事者(患者)が下した意志決定は安定せず、時が経つと容易に覆るからです(米国医師会雑誌・内科学 2014)。

ではACPはいつ行うべきか?それを決めるための指標として最も優れているとされているのは「サプライズ・クエスチョン」です。この指標を用いるのは、最も多くの患者情報を持つ主治医です。その内容とは、「この患者さんが1年以内に死亡したら驚きますか?」です。この質問に対する主治医の答えが「No、驚かない」のであれば、ACPを行う時期にきている、ということになります。ずいぶん荒削りな質問・・・・・・と思われるかも知れませんが、この質問には近未来の死亡に関する高い予測力があることがイタリアのグループから報告されていて(緩和医療誌 2014)、メジャーな欧米のテキストにも記載されています。

とはいえ、ACPを行うにあたっては、忘れてはならないことがあります。患者さん自身が“ACPを受けたい”という状況でなければ始めてはいけない、ということです。終末期医療についての不安や拒絶がある以上、ACPはその効果を発揮できないと考えるべきです。

確かにACPは“欧米(とくに米国)流の自己決定権至上主義”に根ざしている感はあります。実際、オランダの研究によればACP関連の研究の80%以上が米国発です(緩和医療誌 2014)。とはいえ、“人生の最終決定は自分で決める”というのは、国境を越えたここ日本でも、決して間違ってはいないと思うのです。

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2020年01月15日

楽天主義の人は罹患リスクが低く長生きする?!

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あなたは楽観主義ですか?それとも悲観主義?・・・・・・と言われても、何をもって楽観主義、悲観主義とするかですが・・・・・・ここは30年以上前からこの“楽観主義という心の有り様”が健康に良い影響を与えると説くマイアミ大のチャールス・S・カーバー教授の提唱する定義(ジャーナル・オブ・パーソナリティ ワイリー出版 1987年6月号)に従って“未来に良いことが起こると期待する”のを楽観主義、逆に“未来に悪いことが起こると気を病む”のを悲観主義としておきます。

この楽観・悲観主義という心の有り様(欧米ではしばしばマインドセットと表現されます)、意外と臨床疫学の分野で注目されています。これらは単なる精神的な性向と思われがちですが、以前からネガティブな感情や慢性ストレスが心血管病など身体的な健康に関連するという報告があり(米国心臓病学会誌 2005年3月号)、これを“修正可能な危険因子”として捉えて、さまざまな研究が行われています。マインドセットもまた修正可能だと考えるところがまさに欧米人らしい“楽観主義”ですね。

しかし楽観主義が体に良い影響を与えるとなれば、そうなるべく努力してみるのも一興です。ではどの程度の“御利益”があるのかということで、最新の研究論文をふたつほど紹介しましょう。まずニューヨークのマウント・サイナイ・聖ルカ病院の研究者らによるシステマティク・レビュー&メタ解析論文です(米国医師会雑誌・ネットワーク・オープン 2019年9月号)。

著者らはデータ・ベースを検索して楽観主義と心血管病罹患リスク・すべての原因による死亡との関連を研究対象にしている論文15編(がんリスクを対象とした研究は除外)を抽出しました(対象者総計 229,391人)。15編のうち心血管病リスクを検討していたのは10編、全死亡リスクを検討していたのは9編で、平均観察期間は13.8年(2〜40年)でした。

すべてのデータを集積して解析したところ、楽観主義の程度が高い人では心血管病リスクは35%低く、全死亡リスクも14%低くなっていました。ただし論文間での結果のバラツキは小さくはありませんでした。ここで言う“楽観主義の程度が高い人”とは、多くの論文では性格を判断する質問紙法の点数によって対象を3ないし4群に分けて、最も悲観的なグループを基準にして最も楽観的なグループの相対リスクを検討しています。

この質問紙法、最も多くの論文で採用されていたのが「改訂版ライフ・オリエンテーション・テスト(LOT-R)」というもので、冒頭で触れたカーバー先生らが発表したものです(臨床心理学レビュー誌 エルゼビア出版2010年11月号)。日本におけるこの分野の専門家である筑波大学の外山美樹準教授によれば、このLOT-R、日本語版もあるようですが批判も多く(心理学研究 2013年 第84巻 第3号)、外山先生らは楽観主義にも(そして悲観主義にも)二面性、すなわち功罪の面があることに注目されているようです。全くそのとおりだと思うな〜

ともあれ、楽観主義は全死亡リスクやがん死亡リスク低下に繋がるとする研究報告はあったのですが(米国疫学会雑誌 2017年5月号)、今回紹介した論文は、悲観主義が修正可能な、あるいは修正すべき心血管病リスクの危険因子であることを示したという点で意義があります。

でも・・・・・・とくに切迫していないニュートラルの状況であればいざしらず、客観的に厳しい状況で楽観主義を貫くのは危機管理の観点からいかがなものか、と思わないではありません。しかし現在までに蓄積されているエビデンスから考えると、やはり楽観主義の方が健康や疾病対策には有利のようです。では、ほんとうに楽観主義者の方が長生きするのでしょうか?

この観点から研究を行ったのがボストンのグループです。かれらは米国の女性看護師と男性退役軍人のデータデースを用いて、マインドセットと寿命の関連を調べたところ、最も楽観的な人は悲観的な人に比べると85歳以上生存する可能性が約15%高いという結果がでました(米国科学アカデミー紀要 2019年9月号)。

同じ状況でも、ある人は楽観的に、またある人は悲観的になる、というのは不思議な気がします。19世紀を代表する詩人・作家であるオスカー・ワイルド氏は“The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole.”(楽天主義者はドーナツを見て、悲観主義者は穴を見る)と言ったそうです。そうか、ドーナツの穴を見たらダメなんだ・・・・・・

突然ですが古い唄を思い出しました。クレイジー・キャッツ・植木等さんの「だまって俺について来い(曲 萩原哲晶、詞 青島幸男:1964)」です。“銭のない奴ぁ俺んとこに来い!俺もないけど心配するな。見ろよ、青い空〜白い雲〜そのうち何とかな〜るだろう♪”

まさに前途に対する無根拠かつ過剰な期待、これぞ究極の楽天主義であり、ひょっとすれば最も低リスクの生き方なのかも知れません。

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2020年01月01日

がんサバイバーの心血管病のリスク


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あけましておめでとうございます。2020年は子年で閏年、高校卒業後51年目に突入ですね。このブログ、今年もお暇なときに読んでいただけると嬉しいです。

昨年の11月から12月にかけて3回ほど、ガチガチの臨床ネタから離れて半雑学的なネタを書きましたが、またシリアスなネタに戻りたいと思います。半雑学もそれなりにシリアスなのですけど・・・・・・

「がんサバイバー(cancer survivor)あるいはがんサバイバーシップ(cancer survivorship)」という言葉、お聞きになったことがあるでしょうか?サバイバーという単語、つい「サバイバル(survival)」を連想するので、「がんを克服した(治った)人」と思われがちです。確かにそういう意味で使われることもないではありません。実際、この言葉は世界的にみて、異なった定義で使われてきた経緯があります(ランセット誌・腫瘍学 2015年)。

1986年設立の全米がんサバイバーシップ連合は「がんと診断されてからの全経過を生きるがん患者」をキャンサー・サバイバーと定義しています。米国国立がん研究所はさらに定義を拡大して、がん患者の家族・友人・介護担当者まで含んで患者の身体的・精神的・社会的なケアのあり方を模索するスタンスをキャンサー・サバイバーシップとしています。一方、欧州がん研究・治療機構はがんと診断されて初期治療が終了して(維持療法の有無は問わない)、現在活動的ながん病変がない人をサバイバーとしています。欧州の定義は医学的には明確ですが、ちょっと狭すぎるかも知れません。

定義を広げれば、より大きな枠組で医療やケアを考えることができるのですが、その一方で治療・ケア目標が散漫になる嫌いがあります。かといってあまり定義を厳密にすると結果的にはその分野の矮小化に繋がります。最近の趨勢では、がん経験者に対する身体的、精神的、社会的ケアを継続して提供することを重視する観点から、現在の治療の有無にかかわらず「がんを経験した現在生存中の人すべて」を「がんサバイバー」とすることが多いようです。

今や日本では、二人に一人は一生のうちに一度はがん罹患し、昨年8月の国立がん研究センターの発表によれば、がんと診断された人のうち、5年以上生存する人が約67%に達しています。世界的にみても、先進国では診断後ほぼ半数の患者が10年以上生存すると考えられています。これらのがんサバイバーは、がんの増悪・再発以外でも一般の人とは異なるリスクを持つ可能性があります。そのうちのひとつに「心血管病のリスク」が挙げられます。

最近、疫学研究の名門、英国のロンドン大学衛生熱帯医学大学院のグループが
成人の20部位のがんサバイバーを対象とした中長期にわたる心血管病リスクについての論文を発表しました(ランセット誌 2019年)。この研究では1990〜2015の期間で20部位のがんについて、診断から1年以上生存した18歳以上のがんサバイバー108,215人とがん以外の条件をマッチさせた対照となる人523,541人を比較検討しています。

さて結果ですが、深部静脈血栓症(片側の下肢の腫脹・疼痛、臥床や骨盤手術後や航空機搭乗時の不動で起こる。運が悪いと肺塞栓を起こすこともある)は、20のうち18部位のがんサバイバーでリスク増加がみられましたが、その程度はがんの部位によってかなり異なっていました(前立腺がん1.72倍、肺がん5.25倍、膵臓がん9.72倍)。診断から時間が経過するとともにリスクは低下しましたが、それでも診断後5年目でも有意のリスク増加が持続していました。また20のうち10の部位のがんで心不全あるいは心筋障害のリスク増加がみられました(血液がん1.94倍、食道がん1.96倍、肺がん1.82倍、腎臓がん1.73倍、卵巣がん1.59倍など)。

その他、さまざまな部位のがんで不整脈、心膜炎、冠動脈疾患、脳卒中、心臓弁膜症のリスク増加がみられたのですが、脳卒中のリスク増加は脳腫瘍で顕著でした(4.42倍)。心不全、心筋傷害、深部静脈血栓症のリスク増加は、比率でいえば心血管病の既往のない若年がんサバイバーでより大きかったのですが、生じた心血管病の絶対数でみると、最も関連が深かった要因は加齢であり、二番目に関連が深かった要因は化学療法を受けたことでした。

従来から深部静脈血栓症とがん罹患が深く関連していることはよく知られているのですが、そればかりではなく、がんサバイバーではさまざまな心血管病のリスクが増加するようです。がんの予後を改善するには、がんそのものの治療のみならず、心血管病についても目配りしておく必要がありそうです。がんのような大きな病気をすると、つい他の健康問題がおろそかになりがちです。ご注意くださいね。
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2019年12月15日

脳内の獏、MCH産生神経細胞が夢を食べる

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「獏(ばく)」という伝説の超自然的存在、ご存じでしょうか?何でも“夢を喰う”のだそうです。悪夢を好んで食べてくれるという話もあるので、悪いヤツじゃなさそうな・・・・・・
さて、この“ナイトメア・イーター”、ほんとうにヒトの脳にも棲んでいるのかも知れませんよ。

メラニン凝集ホルモン(MCH)なる物質があります。この小さなペプチド(アミノ酸が何個か結合したもの)、もともとは魚類で発見され、皮膚にあるメラニン産生細胞を凝集させて体色を白く変化させる作用を持っています。このMCH遺伝子、哺乳類でも種を超えて広く保存されているのですが、哺乳類ではもはや体色を白くする作用はなく(あったら美白商品として通販で売れるのにね〜)、その働きは長らく謎だったのです。MCH産生神経細胞(以下MCH神経)はマウスでは視床下部外側野に限局していることが分かっていて、主としてマウスを使った動物実験でその機能が研究されてきました。

最初に注目されたのはMCHと摂食行動との関連です。MCHは視床下部による摂食行動調節に深く関わっていると報告されました(ネイチャー誌1996年、同1998年)。しかしMCHの機能は、どうもそれだけではなかったようです。最近注目されているのは、睡眠・覚醒調節ホルモンとしてのMCHです。

このMSHと睡眠・覚醒調節というテーマについて精力的に研究を進めているのが名古屋大学・環境医学研究所のグループです。彼らはさまざまな遺伝子改変マウスを作成して研究して進めているのですが、なかでも光を使ってMCH神経だけを活性化したり抑制したりできる技術を開発することにより、MCH神経がレム睡眠とノンレム睡眠、両方の調節・制御に重要な役割を果たしていること明らかにしました(米国神経学会誌 2014年)。さらに最近、彼らはMCH神経の重要な機能のひとつとして、“レム睡眠中にみる夢の記憶の消去”があることを報告しています(サイエンス誌 2019年)。

ヒトは人生の約三分の一を睡眠に費やしています。1日8時間も寝ていないぞ!という方も少なくないでしょうけど、それでも幼少児から考えると、今までに少なく見積もっても通算20年以上は寝ていることになります。眠りにつくと、ますノンレム睡眠(脳も体も寝ている)から始まり、ついでレム睡眠(脳は活動していて、目は激しく動くが体は寝ている。この間夢を見ているとされる)に移行する、この約90分のサイクルを目覚めまで繰り返します。レム睡眠時の夢は悪夢も善夢も、目覚めたときにはほぼすべて忘れているのが普通です。

なんのためにヒトは眠りにつき、夢をみるのでしょうか。その答えは分かっていません。ですけど、たぶんそれは脳の機能を正常に維持するための重要なプロセス、あるいはメンテナンス作業ではないかと考えられています。そしてレム睡眠時のかなり荒唐無稽な夢は、その記憶を消去しておかないといけないのでしょう。そして夢の消去を担うのがMCH神経というわけです。MCH神経はいわば“忘却神経”ですね。この機能を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の治療に応用できないか、という着想で研究も始まっているようです。そうなれば多くの人が救われると思いますので、うまくいくと良いですね。

「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」というのは最近大ヒットしたアニメ「君の名は。」(新海誠監督 2016年、なぜか語尾に“。”がある)の中のセリフです。これぞまさしく夢の消去です。一方、良く似た題名だけど私たちが生まれて間もない頃のラジオドラマ「(元祖)君の名は」では「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが一世を風靡したそうです。さすがに記憶はありません。

1970年11月25日、大学生だった私は、講義も早く終わって難波あたりをぶらついていました。その時、突然の号外で知ったあの事件・・・・・・作家三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で人質をとって総監室占拠し、自衛隊員を前にアジ演説をしたあと割腹自殺を遂げました。三島氏は生前、このような言葉を残しています・・・・・・「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。」・・・・・・彼はその思想と行動の苛烈さとは裏腹に、人間の弱さもよく分かっていたはずなのに、どうしてあんなことを、と思わずにはいられません。あるいは彼は自らの悪夢を消去できなかったのでしょうか・・・・・・

このブログ、今年も読んで頂いてありがとうございました。少し早いのですが、メリー・クリスマス、そして良いお年を!おめでたい初夢が獏に喰われませんように。
ではまた来年・・・・・・See you next year, my friends!



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2019年12月01日

動脈硬化という“ヒトの業”


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“生まれ落ちた瞬間から動脈硬化は始まる”という言説は誇張があるにしろ、一面の真実を含んでいます。血管は「管」ですので社会のインフラと同様、使い始めた時から傷みが始まりますから。

生まれてから死ぬまで血液が流れる血管には絶えることなく負荷がかかり続けます。とくに血液に直接触れる血管内皮細胞は物理的ダメージが起こりやすい部位です。内皮細胞が障害されると、その隙間から白血球の一種である単球という細胞が血管壁に入り込み、姿形を変えてマクロファージ(大食細胞)に変身してコレステロールなどの脂質を溜込みます。すると血管壁は肥厚し、そのため血管腔は狭くなり、内皮細胞の障害はさらに加速し、ついには血栓が形成されます。これが動脈硬化の基本型です。内腔狭窄・血栓形成により血流が悪くなって、血液が流れるはずの組織・臓器では“虚血”となり、運が悪ければ血栓の一部が流れていって、突如血管を塞ぐ(塞栓症)こともあります。

動脈硬化は全世界の死亡の3分の1を占める心血管疾患・脳卒中の主要原因なのですが、その動脈硬化を増悪させる要因が「危険因子」と呼ばれるもので、加齢、高血圧、高脂血症、喫煙、肥満、糖尿病がよく知られています。人類と動脈硬化は“有史以来の付き合い”であることも分かっていて、古代エジプトのミイラをCTで解析したところ、その38%に動脈硬化の証拠がみられたと報告されています(英国医師会雑誌 2013)。またエジプトのみならず世界各地のミイラにも同様の所見がみられ、その原因として現代の危険因子というより、“ある種の慢性炎症”が原因ではないかとも考えられています(グローバル・ハート誌 エルゼビア出版 2014)。

動脈硬化には、まだいくつかの謎があります。そのひとつが心血管疾患を初めて発症した人の15%くらいは危険因子が全くないこと、いまひとつは人類に最も近いチンパンジーはヒトより血清脂質や血圧が高いのにもかかわらず、動脈硬化病変が生じることが極めて稀、という事実です。これらの事実は“ヒトという種に固有の危険因子”があることを示唆しています。

むろんチンパンジーも心臓疾患に罹患し、ヒトと同様に「心臓突然死」も「慢性進行性心不全」も起こります。ただそれらの原因が全くヒトと異なるのです。ヒトでは主要原因は冠動脈の動脈硬化を基盤とする「虚血性心疾患」ですが、チンパンジーでは冠動脈硬化はほとんど起こらず、ヒトではまずみられない「原因不明の心筋の線維化」が主要原因であることが分かっています(応用進化学誌 ワイリー出版 2009)。では、なぜ進化学的には極めて近縁なヒトとチンパンジーが動脈硬化でこれほど違うのでしょうか。

この問題に長年取り組んでいるのがカリフォルニア大学サンディエゴ校のグループです。彼らによれば、鍵となるのは細胞表面に発現していて重要な機能を担う「シアル酸」という物質です。自然界にはNeu5AcとNeu5Gcという二種類のシアル酸が存在していて、ヒト以外の哺乳類はNeu5AcをNeu5Gcに転換するCMAHという酵素を持っていますが、ヒトのCMAC遺伝子は200〜300万年前にその機能を失ったことが分かっています。最近彼らは、ヒトでは、CMAHが機能しないのでNeu5Gcが合成できず、それが動脈硬化に繋がることを、マウスを用いた動物実験で示しました(米国科学アカデミー紀要 2019)。

「何でそんな大事な酵素活性を無くしたんだよ!」と文句の一つも言いたいところですが、今現在人類が繁栄しているところをみると、利点もあったはずです。おそらくNeu5Gcが多くの人畜共通感染症の“微生物の入り口”になっていたので、Neu5Gcを失うことによって、それらの脅威から逃れることができたと考えられています。ではNeu5Acは安全か?と言われたら、そうはいかなくて、例えばインフルエンザはこれを入り口として感染を起こすのですけど・・・・・・でも200万年前の突然変異はヒトにとって大正解だったのでしょう。ただ200万年後に文明の発展によって、これだけ動脈硬化の危険因子がでてくるとは人類としては想定外だったのかも・・・・・・

CMAH機能喪失でもうひとつまずいことが・・・・・・これも今回紹介した研究グループが報告してきたことですが(米国科学アカデミー紀要 2004,2010など)、
Neu5Gcはヒトには存在しないが、他のほぼすべての哺乳類には存在していて、とくに赤身肉(牛、豚、羊など)には豊富に含まれています。ヒトがこれらを摂取するとNeu5Gcが抗原となり、それに対する抗体が産生されます。そして抗原・抗体反応のあるところには炎症が起こる・・・・・・これがひょっとしたらヒト特異的な動脈硬化のメカニズムかも知れません。確かに赤身肉、とくに加工肉摂取は高死亡率に繋がるという論文も少なくありません(英国医師会雑誌 2019など)。

進化の道が、ヒトでは動脈硬化という“種の業”に結びついた、というお話でした。めでたし、めでたし・・・・・・めでたくはないか。
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2019年11月15日

幸福の棲家はどこですか?

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画像診断は臨床医学の診断ツールとしてなくてはならないものです。最も歴史があるのはX線診断、今でも発見者にちなんで「レントゲン」と呼ぶ人がいます(レントゲン先生はこの業績で、第1回ノーベル物理学賞を受賞しましたが、呼び名は“X線”とすべきで“レントゲン”と呼ぶべきではない、と主張されていたそうです。見識あるな〜)。胸部X線検査は今でも検診や入院時検査として定番中の定番です。もっとも、その主な目的は日本で多かった(そして今も少なくない)肺結核のスクリーニングでした。肺がん検診としては、正直なところ、ちょっと荷が重い感は否めません。

頭部や脳については、画像診断の進歩はX線に比べたら比較的最近の出来事です。頭部の単純X線検査は下垂体腫瘍の診断など、役に立つこともあるのですが、頭蓋骨以外の情報が乏しくて、あまり有益とは言えませんでした。歴史が変わり始めたのは、私が大学を卒業した1975年、この年に初めて阪大病院にコンピュータ断層撮影装置(CT)が導入されました。もったいぶってなかなか撮ってもらえませんでしたけど・・・・・・今から考えたらほぼピンぼけ写真レベルでしたけどね。

CT検査はどんどん装置が進歩するにつれて画像が鮮明になり、脳出血やくも膜下出血の診断などに威力を発揮しました。さらに1980年代半ば以降になると核磁気共鳴撮影装置(MRI)が登場して、脳の解剖図譜をみるようなリアルな画像が得られて、初めて見たときにはかなりびっくりしました。その後も機器の性能向上、造影剤の普及が進み、脳梗塞の超急性期診断や微小脳動脈瘤の発見など、脳神経内科・脳神経外科・脊椎外科領域でのCT・MRIなどの画像診断の進歩はめざましいものがあります。

脳は部位毎に担当する機能が決まっていて、さらにおのおのの部位を連結する神経細胞のネットワークが備わっている超高性能のコンピュータなのですが、最近のMRIの進歩は脳の活動状態をリアルタイムで画像化し、ひいては感情や心が沸き上がるメカニズムをも解析することを可能にしつつあります。「すごい!」と思う反面、「そこまでやるか・・・・・・」と引き気味にさえなりますね〜だって人それぞれが唯一無二の存在であることを示す“心の有り様”さえも、神経細胞の電気的興奮と神経細胞間情報伝達の産物に過ぎない、そしてそれはMRIで図示可能と言われてもね・・・・・・ここは「それがどうした!」と居直るしかないでしょうね。

さて賛否はともかく、最近ちょっと興味を引かれた論文を紹介します。テーマは“脳での幸福の棲家”です。研究を進めているのが「京都大学こころの未来研究センター」のグループ・・・・・・心理学の分野では、“主観的幸福”は 感情成分と認知成分から構成されていて、質問紙法で安定して計測可能であるとされているようです(社会指数研究誌 シュプンリンガー出版1999、日本公衆衛生雑誌 2018)。「ほんとかな〜」「質問にウソ答えたらどうなるの?」などと思わないではないのですが・・・・・・

この京大のグループは以前に、より強く幸福を感じる人ほど脳の右楔前部(けつぜんぶ)の灰白質体積が大きいことを見いだしていたのですが(サイエンティフィック・リポーツ誌2015)、最近、右楔前部安静時活動が低いほど主観的幸福度が高いことを報告しました(サイエンティフィック・リポーツ誌2019)。脳の楔前部というのは、脳の断面図を近畿地方の地図に見立てたら、京都府北部あたりに相当します(なんのこっちゃ、と思う方は「楔前部」でネット検索してみて下さい。図がでてきますよ)。

さて、この右楔前部、2015年の報告では体積が大きい方ほど幸福度が高いというので、てっきり“幸福の棲家”と思いきや、むしろそこはネガティブな心根やさまよう心、あるいは鬱々とした心情に関係するという報告が多いのです(ブレイン・リサーチ誌2013)。そしてこのエリアの活動性が低い人がより幸せを感じると言うのなら、脳右楔前部はどちらかと言えば“不幸の棲家”に近いのかも知れませんね。もしそうなら、なるべく静かにしていて欲しいものです

フランスの哲学者のアランは“アランの幸福論”として有名な著作「幸福についての哲学的断章(1928)」の中で「幸福になりたいのなら、幸福を掴み取るという意志が大事なのだ」ということを繰り返し強調しています。積極的・能動的な“攻めの幸福論”ですね。一方浪速のフォーク・グループの雄、ALICEの谷村新司氏は楽曲「平凡」(ALICE ] 1987)で、むしろ控えめに「不幸じゃなければ幸せですか」と唄っています。

さて、ここで京大のグループの論文を踏まえると、幸福は“増点法”ではなく“減点法”で決まるように思えるので、異論は多々あるかも知れませんが、ここは谷村氏の判定勝ち、とさせて頂きたいと思います。




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2019年11月01日

“白衣高血圧”というリスク


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みなさんの中で、ふだんの血圧は正常なのに、健診や診察室で血圧を測ると高くなっていて、「血圧ちょっと高いですね〜」と言われた方、いませんか?これが「白衣高血圧」です。その頻度は診察室や医療環境で血圧高値を示した人の15〜20%、あるいはそれ以上とも言われていて、加齢につれて増加します。

実はかく言う私も「白衣高血圧」で、家庭血圧は正常だし、例えば化学療法治療前に血圧測定しても正常なのに年1回の職場健診に限って高いのですよね〜
これは昔からそうで、恥ずかしいから名札などは全部外して部署や職責が分からないようにして受診していました(健診を担当するのは病院職員じゃなくて業者だから“面は割れて”ません)。

白衣高血圧というのは、比較的知名度は高いのですが、類似概念や相反概念もあるので、整理しておきます。まず「白衣高血圧」は1984年に米国心臓病協会機関誌の「高血圧誌」に発表された概念で、「外来診察室の血圧が(140/90以上)だけど、ふだんの血圧=診察室外の血圧(厳密には24時間自動血圧計による測定値、簡便には家庭血圧)135/85未満であり、降圧剤は処方されていない状態」と定義されます。一方、良く似た用語に「白衣効果」があります(米国高血圧学雑誌:オックスフォード出版1995年)。これは「降圧剤処方の有無やふだんの血圧レベルにかかわりなく、診察室では血圧がふだんより上昇する状態」です。すなわち白衣効果は既に高血圧治療中の患者さんにもしばしばみられます。

白衣高血圧、白衣効果の逆が「仮面高血圧」です。この概念は2000年代初頭に提唱されたのですが「診察室では正常範囲だがふだんの血圧が高い−家庭血圧なら135/85以上−を示す状態」です。正常血圧者の10%くらいがこの仮面高血圧だとされていて、降圧剤治療中の人にも少なからず存在するので要注意です。これは24時間血圧モニタリングや家庭血圧をチェックしない限り完全に見逃される“放置できない高血圧”ということになり、家庭血圧測定の重要性を如実に示す疾患単位と言えます。

さて、話を白衣高血圧・白衣効果に戻しますと、この“診察室(のみならず健診などすべての医療環境を含みますが)での血圧上昇”を示す人は正常血圧の人と比較して、臨床アウトカム(心血管病罹患や全死亡などを意味します)が異なるか、という問題についてはさまざまな意見があり、一定の見解は得られていませんでした。そこで、最近米国のグループがこの問題について、現在までに報告されている文献を集めて解析しました(米国内科学会誌 2019年6月号)。

著者らは観察期間が最低3年以上(3〜19年)ある27編の論文を収集し、“未治療白衣高血圧者”と“治療管理されている白衣効果を有する患者”25,786人と正常血圧者 38,487人を集積して心血管病罹患リスク、全死亡リスク、心血管病死亡リスクを比較しました。

結果はと言えば、白衣高血圧者は正常血圧者と比較すると、心血管病罹患リスクで36%、全死亡リスクで33%、心血管死亡リスクでは2倍のリスク増加が示されました。一方、脳卒中リスクの増加は明らかではありませんでした。なおこの白衣高血圧者のリスク増加は、とくに高齢者や他の心血管病リスクを有する人で顕著であることがわかりました。なお治療中の白衣効果を有する患者では正常血圧者と比較して格別のリスク増加はみられませんでした。この高齢かつ心血管病のリスク因子を複数もつ、すなわち“高リスク”の白衣高血圧者は正常血圧者に比べ、心血管病や死亡リスクが高くなる、という結果は過去の国際共同研究の報告(米国心臓病学会誌:エルゼビア出版 2016年)とも一致しています。

さて、ここで“高年齢層”の定義が気になるところですが、私たちは遺憾ながら、臨床研究レベルでは“押しも押されもしない高齢者”です。ただし年齢だけではそんなにリスクは上がりません。しかし白衣高血圧の他に糖尿病、肥満、喫煙、高脂血症、アルコール過飲などがあれば、綿密な家庭血圧測定が必要で、家庭血圧はぜひとも130/80未満をクリアしたいところです。また白衣高血圧者は将来高率に“普通の高血圧”に移行することが知られていますので、血圧の自己測定はずっと続けてくださいね。何なら高血圧を専門とする診療所や病院の外来で「24時間血圧モニタリング」を行う手もあります。これらの結果を踏まえて、主治医の先生とよく相談して必要に応じて降圧剤を処方、ということになります。

今後も確実に歳はとっていくので、白衣高血圧が分かったら、その他のリスク因子の管理はもちろんなのですが、問題になるものがなくとも、とりあえず生活習慣の見直しがお勧めです。すなわち塩分は控えめに、カリウムは多めに、そして体重は・・・・・・「目指せ、正常BMI!」ということでしょうね。
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2019年10月15日

塩分を取り過ぎるとお腹が張る!?

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内科外来で「お腹が張って苦しい」と訴える人は少なくありません。「ガスが溜って・・・・・・」と表現する人も多いです。実際、海外のテキストにはしばしば「ガス関連症状」という項目で記載されています。この症状に下痢・便秘という便通異常や腹痛が加わって3ヶ月以上も持続する・・・・・・ということになれば「過敏性腸症候群」という病名がつき、その有病率たるや、人口の20〜30%とする報告も珍しくありません・・・・・・

診察を受けたい、あるいは薬を処方がほしい、とまではいかないけど、“お腹が張る=腹満”が気になることがある人、とすれば確かに人口の30%も誇張ではないのかも。ではどうしたら腹満を防げるか・・・・・・これがなかなか難しいのです。

腸管には通常200mlくらいの空気が入っていますが、1日産生量は通常食で600〜700ml、うち75%は摂取した食事成分が、腸内細菌コロニーによって発酵することによって生じ、残りは“無意識に飲み込んだ空気”と血管から腸管内に拡散してきた空気です。そして何らかの理由で腸管内の空気量が増加すると、腹満が起こると言いたいところですが、個人の“ガス貯留に対する感受性”の違いはとても大きく1,000mlのガスが貯留してもほとんど症状がないという人もあれば、その1/10量でも我慢できない人もいます。

腹満の多くは、腸管に器質的な病変がない、すなわち腸管の運動や腸管内部の水分調節や腸内細菌活動の失調など“機能的”な原因である場合がほとんどで、その背景には高頻度に“腸管感覚の過敏性”が存在します。

とはいえ、どのような腹満でも機能性ガス貯留が原因と決めつけるわけにはいかないので、重大な原因がないか一度は探っておく必要があります。腫瘍性のものであれば大腸がんや卵巣がん、非腫瘍性のものであれば糖尿病の自律神経障害による消化管運動障害がとくに重要です(メルク・マニュアル第20版)。

一度気になると、より一層気になるのも腹満のひとつの特徴です。となれば、“腹満が起こりにくい食事”があれば良いな、と思いますよね。でも“腹満が起こりにくい食事”が一般に考えられている“健康に良い食事”とは限りません。

もう20年以上前から欧米では健康食として「DASH食」(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌 1997年)が知られています。これは“果物、ナッツ、野菜、食物繊維が豊富で低脂肪”を特徴とする食事で、高血圧や心血管病予防のために考案されて高い評価を受けています。日本でも腸の健全な活動・便通改善のために食物繊維を豊富に摂る、ということがしばしば推奨されています。しかし腹満相手では一筋縄ではいかないのです。

食物繊維とは、簡単に言えば食品に含まれる消化吸収できない成分で、その多くは「糖質」に分類されるものです(消化吸収できる糖質は「炭水化物」です)。これら消化できない糖質=食物繊維は腸内細菌の影響を受けて発酵を生じやすく、ガスを発生させます。ではどんな食事がガス発生や腹満を軽減し得るかについて、豪州のグループが過敏性腸症候群の患者さんを対象として行った有名な研究があります。著者らによれば、腹満や便通異常がある場合には発酵性の糖質(豆、小麦、玉葱、牛乳、ヨーグルト、果物、人工甘味料など)を避けることが重要で、そうすれば症状は半分くらいになるそうです(消化器病雑誌 エルゼビア出版 2014年)。

この主張はなるほど、と思わせるところもありますが、じゃあ何を食べたら良いのか、という問題がでてきます。高血圧、心血管病を予防しつつ、腹満も起こりにくい食事となると困ってしまいますね。

そこで最近、ジョン・ホプキンス大学のグループが発表した論文は、少し新味もあるので紹介しておきます(米国消化器病学会誌 2019年7月号)。彼らの研究対象は20年前!(新しい視点で昔のデータを使い回し・・・・・・最近流行の手法)の「DASH-Sodium(=ナトリウム)試験」の参加者です。健康成人(平均年齢48歳、女性 57%)を対象に上記DASH食(低脂肪・高食物繊維)と普通の食事(高脂肪・低食物繊維)を摂る群にランダムに割り付け、「塩分摂取量の違い」という新しい切り口を加えて腹満の発生状況を比較したものです。腹満を訴える人は全体の36.7%もいました。確かに高食物繊維食では塩分の多寡にかかわらず、腹満を訴える人は低食物繊維食に比べ40%も増加するのですが、逆に塩分が多いと食事内容にかかわらず、腹満は27%増加したのです。腸管内の塩分濃度が高いと水分が腸管内に侵入してきて腹満が増悪すると説明されています。

さて、結論は食物繊維も大事だが一時にたくさん食べないように、そして塩分は控えめに・・・・・・というごくごく常識的な結論になりました。それともうひとつ、「言いたいことは言う」ことかな〜諺に“物言わぬは、腹ふくるるわざ”というじゃないですか・・・・・・
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2019年10月01日

「一日一万歩あるきましょう!!」と言ったのは誰?!


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「一日一万歩あるきましょう!!」という推奨は日本だけではないようです。とはいえ、一日一万歩は、平均歩幅を身長×0.45(普通の歩き方ならこれくらいとされています)で計算して、約7kmに相当します。「今日は歩くぞ!!」という日はともかく、“普通の日”でも毎日一万歩、というのはちょっと厳しいかも知れません。しかし今や歩数計は、スマホはもとよりガラケーでも標準装備ですので、歩数表示を励みに頑張っている方も少なくないと思います。

ところで歩数計の原型が発明されたのはけっこう古く、18世紀のヨーロッパにまで遡れるようです。それが日本にも伝わり、かの平賀源内先生がこれを改良して「量程器」なるものを発明したとか・・・・・・そういえば香川県さぬき市の平賀源内記念館で複製品を見たような、見なかったような・・・・・・

現代の歩数計が日本に現れたのは、1965年のことで、潟с}サ時計計器が開発し「万歩メーター」と銘打って発売しました。売り出し価格は大卒初任給が2〜3万円の時代で2,200円とかなり高価でしたが、当時起こり始めたウォーキング・ブームに乗って「一日一万歩あるきましょう」のキャッチ・フレーズとともに人気商品となったようです(同社HPによる)。なお「万歩計」は同社が取得した登録商標(1984)で、一般名詞では「歩数計」と言うそうです。

最も活動的な年代ならともかく、高齢者の健康増進の観点からみて「ほんとうに一日一万歩も必要なのか?!」と考えたのは米国ボストンにあるハーバード大学医学部の主要関連病院として名高い「ブリガム・アンド・ウィメンズ病院」の研究者らのグループです。東大の先生も共同研究者に入っています。彼らは“一日一万歩”の科学的根拠がどうもあやしいと思ったようです。

そこで彼らは米国の女性の健康問題を検証するための大規模住民研究である「ウィメンズ・ヘルス・スタディ」に参加した高齢女性(72歳±標準偏差5.7歳)に“ウェアラブル加速度計”(歩数も歩行強度も測定できます)を装着してもらって、データを回収・解析し、一日の歩数、歩行強度と「すべての原因による死亡(全死亡)」との関係について解析しました(米国医師会雑誌・内科学 2019年5月号)。

最終的にデータ収集の最低条件(起きている時間で1日10時間以上、計4日間以上装着)を満たしたのは16,741人、1日平均歩数は5,499歩でした。平均観察期間4.3年の間に504人が何らかの原因で亡くなっています。そこでまず1日歩数と死亡リスクの関係を検討するために、平均歩数の少ない人〜多い人の順に並べて4つのグループに分けました。グループの平均歩数は、それぞれ2,718、4,363、5,905、8,442歩でした。

結果に影響するようなさまざまな因子で調整した全死亡率は、最も歩数が少なかったグループを1.00とすると、二番目に少なかったグループでは0.59、三番目は0.54、最も歩数が多かったグループは0.42となり、歩数が多いほど死亡リスクは低下しました。ただし1日歩数が7,500歩を超えると死亡率低下は横ばいになりました。また、歩行強度と死亡率の関係をみると、一見強度が強い方が死亡率低下に関係するようにみえるのですが、1日歩数で補正すれば関連は薄くなり、結局のところ歩行の運動強度はあまり関係なく、1日歩数が重要であることが分かりました。

この研究は、“毎日少しで良いから歩くこと”の重要性を示しています。1日歩数2,700歩という“おそらく日常運動としての意識的な散歩はほとんどしない人たち”でさえ、わずか1日1km強ほどの散歩を追加するだけで40%も死亡リスクが低下する、というのはちょっとびっくりです。しかも歩く速さは問題ではない、というのですから、無理に早歩きで頑張る必要もありません。そして1日5kmと少し歩けば、ほぼ目的は達することができるというわけです。

さて、この簡単かつ安全な“散歩運動療法”が、ここまで高齢女性の死亡率を下げるのが事実なら、より幅広い年齢層で男女を問わず、既存の運動療法と、その効果を比べてみたいところです。「わざわざ運動するのも、めんどうくさい」というナマケモノ人間にもぴったり・・・・・・

さて、話がうますぎる気もしないではないですが、「一日一万歩あるきましょう!!」のハードルはだいぶ下がったように思います。では誰が“一日一万歩”を言い出したのでしょうか・・・・・・この論文の著者たちは、日本で1960年代に大流行した「Manpo-kei」から始まっているのではないかと考えているようです。なるほど、“一日一万歩”の根拠は、サイエンスではなく、日本の一企業の卓越したキャッチ・コピーだったようです。



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