元市立豊中病院病院長の片桐修一さん(小西ホーム)が最新の論文を元に気になる医療情報を語ってくれます。
2020年06月15日

2016年11月15日付のグロブで「前期高齢者が気になるカタカナ語の警鐘」と題して、身体・社会・精神神経機能の衰えを意味する「フレイル」、運動機能低下を意味する「ロコモティブシンドローム」、そして筋肉量・筋力の低下を意味する「サルコペニア」を紹介しました。このサルコペニアはそれ自体“加齢症候群”のひとつであるとともに、フレイルやロコモティブシンドロームの主要原因でもあります。サルコペニアの予防は、“健やかな老後”の大きな柱のひとつです。そこで今回は、サルコペニアを防ぐのにラジオ体操が有効!というお話です。
私たちの世代でラジオ体操を知らない人や、やったことがないという人はいないでしょうね。ラジオ体操第一、第二の音楽が聞こえたら自然に体が動く、という人も少なくないかも知れません。私も小学生のときに夏休み朝6:00からのラジオ体操に皆勤したら文房具がもらえると聞いて、初日から行きましたが、三日くらいで止めました。「やっぱり三日坊主か」と言われそうですが、子供心にも、“払う労苦”と“得られる利得”を天秤にかけたとき、「割に合わない」という結論に至ったからだと思います。我ながら幼くして“トレード・オフ”の概念が確立していたと評価できます。この概念が医師になってどれだけ役だったことか・・・・・・(「嘘つけ!」と思われた方、正解です)
さて、私とは違ってラジオ体操を高く評価され、研究を続けられていたのは京都府立医科大学の先生方です。彼らは最近、強度の高い筋力トレーニングでなくとも、1日2回のラジオ体操を行うことによって糖尿病患者(サルコペニアのハイリスク群です)の筋肉量を維持できることを報告しました(英国医師会雑誌オープン:糖尿病研究&ケア 2020 8:e001027)。
この研究の対象者は「糖尿病教育入院(2週間)」の入院患者さんたちです。糖尿病教育入院は糖尿病診断時、あるいは悪化時に入院し、糖尿病についての講義や食事療法・運動療法の実践、合併症精査そして治療方針決定を行うシステムです。日本中の病院で大流行したのですが、最盛期ほどではないにしろ、今でも行われています。
著者らは42人の2型糖尿病のうち15人(男性11人、女性4人)に朝食前と夕食後の1日2回、ラジオ体操第二(第一よりも筋力を鍛える効果が高いとされています)を3分間行ってもらいました(ラジオ体操実施群)。残りの27人(男性13人、女性14人)は対照となるラジオ体操未実施群です。なお両群とも1日60分の有酸素運動(速歩)を行いました。なお両群間で年齢やBMI、糖尿病管理状態の指標であるHbA1cなどには差がありませんでした。
この研究では、入院14日後の体重と身体組成(とりわけ四肢骨格筋量)の変化を両群で比較するのが主な目的なのですが、ここで身体組成評価の方法を簡単に書いておきます。最近はちょっと上等の体重計には脂肪量や筋肉量が測定できる機能が付いているものが市販されていますが、身体組成評価で最も信頼できる測定法は二重エネルギーX線吸収測定法(DXA法)です。体重計の付属機能は生体電気インピーダンス分析(簡単に言えば電気抵抗で組成を推定する方法)の原理を応用しているのですが、さすがに臨床研究となればDXA法との相関が極めて良いことが証明されている機器を用いる必要があります。この研究ではInBody 720という機器を用いているのですが、これは市販の体重計より桁2つくらい高価でDXA法と高い相関があることが証明されています。
さて、結果はといえば、体重はラジオ体操実施群、未実施群ともに入院期間終了後に1.5〜1.7kgほど減少していましたが、骨格筋量指数(SMI=四肢骨格筋量/身長[m]2)の平均値はラジオ体操実施群ではほぼ不変であったのに対し、未実施群では有意に減少していました。SMIが減少していた人は、未実施群で85.2%(23/27人)であったのに対し、実施群では46.7%(7/15人)に止まりました。
糖尿病の有無にかかわらず、筋肉量の維持には有酸素運動、筋肉負荷がかかった状態での運動(レジスタント・トレーニング)が良いのは周知の事実ですが、きっちり実行できる人は少ない、というのが世界共通の悩みです。一方、日本伝統のラジオ体操は1回3分という手軽さながら、ラジオ体操第二であれば、その運動量は4.0-4.5 MET、すなわちバドミントン13分間に匹敵します(ちょっとホントか、と思いますがホントみたいです)。
筋肉量というものは、運動量が減少したら、簡単に減ってしまいます。これを防ぐには、そりゃ、ちゃんとした運動を毎日行うのに越したことはないけど、もっと楽をして何とかならないか、と思う方にはラジオ体操がオススメかも知れませんよ。いまなら私もラジオ体操を高く評価するのに吝かではありません。別に毎日早起きしなくても良いし、筋肉量を維持できるのなら賞品を貰えなくても我慢できるしね・・・・・・
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日記
2020年05月15日

あなたの平熱はどれくらいですか? 言い方を変えたら、何℃を超えたら“微熱”があると思いますか? 一般的には「37℃以上は微熱」と考える人が多いのではないでしょうか。もっとも、「私は平熱が低いから、36.7℃でも、微熱なのです」と訴える方も少なくないのですが・・・・・・平熱の範囲や微熱の定義は、実ははっきり決まっているわけではありません。
おそらく世界で最も有名な内科学のテキストである「ハリソン内科学 18版(最新版ではないですが)」には、平熱について、“18歳から40歳の人の健康成人を対象にして口腔内体温を測定すると36.8±0.4℃、正常上限値は朝6時で37.2℃、夕方4時で37.7℃であった”と記載しています。口腔内計測は、日本でよく用いられる腋窩(腋の下)での計測より0.4℃ほど高いので、このデータを信用すれば腋窩でも37.3℃くらいまでは微熱あり、とはいえないということになります。実際、このあたりを正常上限とするテキストの記載や臨床研究も少なくありません。
従来、欧米では正常体温は平均37℃(腋窩測定;36.2〜37.5℃)とする説が有力でした。これは1851年にドイツの医師、カール・ラインホルト・アウグスト・ヴィンダーリッヒ先生(重厚な名前ですね〜)が発表した約25,000人のライプツイッヒの患者さんからのデータに基づくとのことです。この基準、「高すぎるのではないかな〜」と言うのが率直な感想です。自分の経験は、37℃超えるとしんどいので(37℃超えの数字をみただけでしんどくなるタイプです)・・・・・・
そう思うのは私だけではないようです。最近の35,488人(平均52.9歳、女性64%、非白人41%)で243,506回測定した米国からの論文(英国医師会雑誌 2017)では、平均体温は36.6℃(35.7〜37.3℃;95%範囲)と報告されています。他にも類似の報告もいくつかあり、そこで「これは、ここ百数十年でヒトの体温は下がっているのではないか」との仮説を立てて検証した論文が現れました(イーライフ eLife誌 2020;生命保険か通販みたいな名前ですが、けっこう引用されている立派なon lineの学術誌です)。
米国のスタンフォード大学のグループは、時代の異なる三つの体温に関するデータ・ベースを調べて比較しました。ひとつはCivil War(南北戦争 1861-1865;ご存じ「風とともに去りぬ」の時代です)に関わった現役・退役軍人のデータ(23,710人;1860-1940)、二つ目は米国国民健康栄養調査のデータ(15,301人;1971-1975)、三つ目はスタンフォード大学のデータ(150,280人;2007-2017)で、分析した体温測定の記録総数は677,423件でした。
さて、結果ですが、性別、年齢、身長、体重などなど、さまざまな因子で補正すると、たとえば2000年代に生まれた男性は1800年代に生まれた男性より平均体温は0.59℃低く、2000年代に生まれた女性は1890年代に生まれた女性より平均体温は0.32℃低いことがわかりました。全体を通してみると、ここ157年間で10年遅く生まれる毎に、平均体温は0.03℃低下していることが明らかになったのです。
ではこれは何を意味しているか、ということですが、体温に重要な影響を与える二大因子として、体内のエネルギー産生=「代謝」と体の恒常性を維持する免疫機構の発動としての「炎症」の二つの要因を挙げることができます。確かにここ百数十年、一般論で言えば私たちを取り巻く衛生や居住環境は良くなりました。かつて炎症に深く関わった結核やマラリアなどの感染症も抑え込むことができるようになりました。事実、19世紀の半ばでは人口の3%が活動性結核であったと報告されています(プロス・ワン誌 2011)。また最近の動向をみても、さまざまな用途で有効な抗炎症剤が使われるようになり、ここ10年で最も普遍的な炎症マーカーである血液中のCRPの平均値が5%ほど下がっているとする論文もあります(米国疫学雑誌 2013)。
あれやこれやの理由で、少なくとも先進国エリアでは平均体温は下がっているようです。これは寿命が延びていることと、同じ現象を違う角度から見ているのかも知れません。これを“文明の勝利”として「コングラチュレーションズ!」で済ますのは楽観的過ぎるでしょう。“人類の炎症レベルは下がっている”かも知れませんが、動脈硬化が進んでいる人では炎症レベルが上昇していて、病気の進展に関わっているとされています(米国心臓病協会誌 2018)。やはり問題とすべきは“それぞれの体温”、“自分の体温”なのです。
先に紹介した2017の英国医師会雑誌の論文によれば、高齢者は比較的低体温なのだけど、持病にも影響を受けて、たとえば甲状腺機能低下症では低体温になるし、がんや肥満では高体温になりがちです。とはいえ、これらの病気は体温の変動の8.2%を説明できるに過ぎないようです。しかし驚くべきことに、すべての関連因子で補正しても、0.149℃の体温上昇が年間死亡率8.4%の上昇に関連している、との結果がでています。微熱もバカにできません。やはり体温は毎日測りましょう!
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2020年05月01日

皆さんは食事時にしっかり噛むほうですか?私は医師になって間もない頃は食事時間が惜しい気がして、ずいぶん食べるのが早くなりました。そのために噛むのもいい加減になって、今も続いているような・・・・・・しかし噛む、すなわち咀嚼という行動は大事です。摂食・消化・吸収に重要な役割を果たすばかりではなく、どうやら脳にも好影響をもたらせてくれるようです。
以前から咀嚼によって脳血流が増加することは知られていたのですが、その詳細な機序については明らかではありませんでした。このテーマについて、昨年末に東京都健康長寿医療センターのグループが「脳血流と代謝誌(BMC出版)12月25日 2019」に興味深い論文を発表しました。
著者らが明らかにした脳内メカニズムは次のようなものでした。咀嚼すると脳の奥まった場所にあるマイネルト基底核という神経細胞が活性化します。マイネルト神経核からは神経線維が広範囲の大脳皮質に放射されていて、それを介する信号によって大脳皮質の血流量が大きく増加します。マイネルト神経核はアルツハイマー型認知症で脱落することが知られていて、認知機能に重要な役割を果たしていると考えられています。すなわちこの部位の活性化によって脳血流が増加するという現象からみて、咀嚼が認知機能の維持・認知症の予防に役立つことが期待できるというのです。
この研究の面白いところは、咀嚼によって脳血流が増えると言っても、必ずしも咀嚼筋を動かす必要はない、ということを示したことです。著者らはラットを用いた実験系でいろいろな工夫を加えて、この現象の機序の解明に迫っています。印象深いのは、咀嚼筋自体は動かない状態にしておいて大脳皮質の咀嚼中枢を刺激してみると、普通の咀嚼と同様にマイネルト神経核が活性化し、脳血流が増加することが分かりました。これをヒトに例えると、「しっかり噛むぞ!」と思っただけで脳血流が増加する、ということになります。
なぜ咀嚼が脳に良いのか、についてはひとつのヒントがあります。この研究グループは以前から歩行が同様に脳血流を増加させることを報告してきました(自律神経科学誌 エルゼビア出版 2003、日本老年医学会英文誌 2010)。これがどれくらい認知機能にとって役立つかについては、実際に高齢者を対象とした疫学的なデータがあります。東北大学のグループはしっかり歩く高齢者はそうでない高齢者に比較して認知症のリスクが30%近く低くなる、という結果を発表しています(年齢と老化誌 オックスフォード出版 2017)。東京都健康長寿医療センターのグループは歩行や咀嚼などの“リズミカルな運動”がマイネルト神経を刺激して、この神経核を経由した脳血流増加が起こると考えているようです。
ここでちょっと思いつきました。咀嚼も歩行も、マイネルト神経核を刺激して脳血流を増やすことができます。そしてそれは認知機能に良い影響を与える可能性があります。だったら咀嚼と歩行を組み合わせて、“歩きながら物を食べる”のが、最も効率良く認知機能を鍛えることができるのでないか・・・・・・でもやはりこれは“行儀が悪い”“不作法”“迷惑”“品が無い”などという批判の嵐を覚悟しないといけませんね。最近の言葉で言うと、“炎上する”というやつです。これは困ります。ましてや私はどちらかと言えば品格で勝負するタイプですので、さすがにこれは実行しづらいし、お勧めできません。
でも心配いりません。今回紹介した論文には “何も咀嚼筋を動かさなくても良い。咀嚼中枢が活性化する=咀嚼すると思うだけで脳血流が増える”と書いてあります。これが事実なら、“歩きながらしっかり噛む”というイメージ・トレーニングを行うだけで効果が上がるかも知れません。いくらなんでもちょっと話がうますぎる気はするのですが・・・・・・それにイメージ・トレーニングだけでは、歩行という運動の効果も得られないし、噛まずにいると消化・吸収はどうするのだ、ということになります。
やはりここは、めんどうがらずに、1日10,000歩目指して、しっかり歩くとともに、朝・昼・晩(あるいは+間食)食べるときには、しっかり噛みましょう!
しかもリズミカルに・・・・・・そうすれば体も顎も鍛えられ、消化吸収も良くなり、おまけに認知機能も保たれて、「健康ジジ・ババ」への道が開けるかも知れませんよ。
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2020年04月15日

私たち人類の祖先(ヒト属)が地球に誕生して約200万年、さまざまな幸運に見舞われ、地上の覇者となりました。まだ人類の祖先が無力な原始哺乳類だった6500万年前には巨大隕石衝突が起こって、当時の覇者だった恐竜があっという間に絶滅したのは運以外の何者でもないし、二足歩行・脳の発達にしても、たまたま起こった進化=遺伝子変異が運良く“当たり”だっただけかも知れませんしね・・・・・・
覇者になったとはいえ、人類は他の動物種とは違って、しょっちゅう仲間割れするし、意図的でないにしろ他の生物種を絶滅に追い込むし、ふつうの動物種では当たり前に備わっている本能が弱くて、生きる意味とか、自己実現とかのお題目を無理矢理考え出さないといけないし・・・・・・なんだか“生物種としての不完全性”が目立ちますね〜自分を振り返っても、ホント、そう思います。
数十万年前、多くの類人猿が世界中に乱立・跋扈していた中から、いかにして我らヒト属が生き残ったか、についてはさまざまな説があります。医学的な観点からこのような議論を展開できる分野のひとつとして、大脳生理学・神経科学があげられます。
ある生物種が少数しか存在していないとき、その生物種の行動や情動の特性は種の生き残りに大きな影響を与える可能性があります。そうなるとヒト属の場合、行動とそれを裏打ちする脳の情動は大きな意味を持ちますが、その情動は脳内の神経伝達物質という脳神経細胞活動を賦活・制御する物質の支配下にあると考えられます。一方、神経伝達物質にはそれを取り込んで輸送する固有の蛋白質があるので、この蛋白質の機能が結果として脳神経細胞活動、ひいては情動に大きな影響を与えます。
このような観点から、東北大学のグループは情動に関わる神経伝達物質の取込に深く関わる「小胞モノアミントランスポーター1(VMAT1)」という蛋白質の進化段階を検討しました(進化生物学誌 BMC出版 2019)。著者らはVMAT1の変異体を培養細胞で再現する技術を用いて類人猿から現代人に至るまでに5段階のVMAT1を作成し進化論的分析を加えています。
VMAT1変異が起こる、すなわち遺伝子配列の突然変異によって蛋白質を構成するアミノ酸がわずか1個変化しただけで、神経伝達物質の取込能が変わって、個体の認知や情動がかなり変化することが分かっています。VMAT1は進化の過程で5段階の変異が起こったのですが、1〜4段階までの過程では神経伝達物質の取込が、かなり減少する方向に変異したようです。これはヒト属において、不安やうつ傾向が強くなっていったことを意味しているそうです。ところが最終の5段階目の変異によって神経伝達物質の取込は大きく上昇しました。これが起こったのは今から約10万年前で、ちょうど私たちの直接の先祖であるヒト属が、アフリカ大陸を出て、世界中に散らばっていった時期に一致するのです。
ちょっと出来過ぎた話のような気もしないではないのですが、確かにヒトの黎明期は厳しい環境にあり、認知・行動・情動の“方向”が生存を左右したことは想像に難くありません。すなわち“環境による自然選択”が働き、“適者生存”〜“フィッターズ・ビクトリー”の原則によって、適応したものが生き残った、ということです。「不安」は自己防衛に繋がりますし、「うつ」も私たちが想起するような薬物治療が必要なレベルはさておき、やや古典的な言説に想像を交えて考えると、しばしば“うつになりやすい性格”とされる「他者に配慮する」、「几帳面」、「責任感の強さ」を豊富に持つことが厳しい環境での比較的小さな集団の維持・生存に有利に働いたのかも知れません。
そしてさらに環境が悪化し、どうにもならなくなった時には、不安やうつ傾向に乏しい“行動的な”ヒトが現れ、新天地に飛び出して行った・・・・・・「出エジプト」ならぬ「出アフリカ」ですね。あるいは行動・前進を恐れぬモーゼのような(顔は「十戒」のチャールトン・ヘストン似)リーダーが皆を引っ張って行ったのかも・・・・・・
それが起こったのはほんと10万年前か?ということで調べてみると、最近の発見から考察すると出アフリカはもっと古く、遅くとも18万年前という意見も(サイエンス誌 2011)・・・・・・まあ、遺伝子変異の時期を正確に推計するのも困難ですし、数万年の差はあまり気にしなくても良いのかも知れませんが。
それよりひっかかるのは、人類の進化も、そして今それを考察しているこの私の思考も、脳内の神経伝達物質とそれを運ぶVMAT1などのトランスポーター蛋白のなせる技・・・・・・ということになると、ちょっと虚しい気もしないではありません。やはりこの生身の体は、所詮は遺伝子の乗り物に過ぎないのかも知れません・・・・・・乗り物だとすれば、ちょっとガタが来始めているのが気がかりです。
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2020年04月01日

日本ではあまり目立っていないのかも知れませんが、最近欧米では菜食主義者が増え続けているそうです。一口に菜食主義者「ベジタリアン」と言ってもグレードがあり、“肉は食べない”から“動物由来の食物は一切ダメ”までさまざまで、最も先鋭な「ヴィーガン」と呼ばれる人達の一部は、動物性食物はむろんのこと、“牛革ベルトもダメ”という徹底ぶりです。
医学研究ではそこまで厳密に区別しないことも多いのですけど、菜食主義が心血管病罹患リスクにどのような影響があるかは興味深いテーマではあります。そこで最新の英国発の研究を紹介します(英国医師会雑誌 2019年11月号)。
この研究の対象は1993〜2001年に登録された、虚血性心疾患、脳卒中、狭心症あるいは心血管疾患の既往のない人48,188人で、食生活で3グループに分けています。「肉食派」(肉を食べる。魚・乳製品・卵摂取の有無は問わない:24,428人、女性75.7%)、「魚食派」(魚は食べるが肉は食べない:7,506人、女性82.4%)、「菜食派」(ヴィーガンを含む:16,254人、女性75.3%)の3グループです。食生活については最初の登録時とその後2010年頃(対象28,364人)に調査されています。
さて、結果ですが、18.1年の観察期間で、2,820例の虚血性心疾患と1,072 例の脳卒中(脳梗塞・脳塞栓519例、脳出血300例)が発症しました。社会地政学的な因子とライフスタイルの因子で調整すると、虚血性心疾患に関しては肉食派に比較して、魚食派と菜食派はそれぞれ13%、22%のリスク低下が見られました。これは実際にどれくらいの差になるかと言えば、菜食派では肉食派に比べて人口1,000人×10年あたりの虚血性心疾患の発症が10人少ないということになります。ただし自己申告のコレステロール高値、高血圧、BMIで補正すると、菜食派のリスク低下効果は10%にまで減弱しました。
一方、脳卒中については全く逆の現象が見られました。菜食派は肉食派に比べて脳卒中、とりわけ脳出血のリスクが20%も高かったのです。これは人口1,000人×10年あたり脳卒中が3人以上多く生じる計算になります。こうなれば菜食の健康に対する益は、だいぶ揺らいできますね〜
では、肉食派、魚食派、菜食派の人たちのプロフィールをもう少し詳しく見てみましょう。社会地政学的なプロフィールでまず目につくのは、平均年齢です。肉食派49.0歳、魚食派42.1歳、菜食派39.4歳と肉食を避ける人は若い層に多いことがわかります。また教育程度も魚食派と菜食派で高い傾向があります。喫煙率・アルコール消費、サプリメントの使用は3群で大差ないのですが、
運動をよく行う人は魚食派と菜食派で多かったようです。
持病や常用薬ではかなり差がありました。肉食派は魚食派・菜食派に比べて高血圧、高コレステロール(C)、糖尿病の既往がある人がやや多く、何らかの治療薬や女性ホルモン補充療法をうけている人も多かったのです。もっとも、実際の血圧や総Cの値は、3群で大きな差はなかったのですが・・・・・・
次に肉食、魚食、菜食の違いを栄養学的にみてみましょう。平均摂取カロリーは肉食1.983、魚食1,897、菜食1,867でした。また菜食では、牛乳・豆乳・チーズ・フルーツを他の2群よりたくさん摂取するので、総カロリーに占める栄養素の割合でみると、たんぱく質・脂質はそう少ないわけではありませんが、糖質はすこし多めになっています。
著者らは魚食派・菜食派は肉食派に比べ、虚血性心疾患のリスクが低いことは間違いない、と考えているようです。むろん高血圧、高C、糖尿病、肥満などの既知の危険因子も関連していることは確かなのですが、それらの影響を補正してもなお、リスクは有意に低くなると結論しています。その原因を求めるとすれば、やはり食事性の“悪玉C(LDL−Cあるいは、非HDL−C)”ということになるようです。
では逆に菜食派で脳卒中、とくに脳出血が増えるのはなぜか、という疑問が起こります。いままでに発表された研究報告も考え合わせると、これもまた肉食あるいはそれに含まれるLDL−Cなどの脂肪成分の不足による、とする意見があります。すなわち肉食や肉食由来の脂肪は脳出血に対して防御的に働く、という論文は複数存在し、その中には日本発の研究もあります(日本疫学会英文誌 1999、米国心臓病学会・米国麻酔科学会機関誌 2004など)。
ではどうしたら良いのでしょう?このような益・害相半ばする場合には常識的な対応が無難です。まず高血圧、高C、糖尿病、肥満など既知の危険因子があれば是正するのが第一。食生活では、あまり肉食を避ける必要はないけど、魚や乳製品もバランスよく摂取、野菜もしっかり食べましょう!何事によらず、よほどの科学的根拠がない限り、極端に走るのはかえってリスクが高くなるかも・・・・・・あいも変わらず当たり前の結論になってすいません・・・・・・
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2020年03月15日

臨床研究にはいろいろありますが、中には多くの人を敵に回すのも厭わない、という研究もあります。とくに昔のことをほじくり返して、某有名アニメのように、「おまえはもう〇〇している。」と言われても納得できない人もいるでしょうね。
子供の頃の宿題、とくに夏休みの宿題のことを思い出して下さい。いつまでに仕上げていましたか? 1.直ちに終わらせた、2.なるべく早めに終わらせた、3.期限内に終わるよう均等に仕上げた、4.期限の終わりの方で仕上げた、5.ギリギリになってやっと終わらせた、の五択です。1〜3は“先延ばし(procrastination)”しないタイプ、4は中等度の先延ばし傾向、5は強い先延ばし傾向と分類されます。
愛知医科大学の二人の研究者は、ある電気メーカーの男性従業員(795人、46.9±8.1歳、BMI 23.1 ±3.2kg/m2、“ホワイトカラー族”515人、“ブルーカラー族”280人)を対象に、宿題の仕上げ方と大人になってからの体重増加やメタボリック・シンドローム(Met S)のリスクについての関連を検討しました(英国医師会雑誌 Open On line 11月18日号)。
著者らが“宿題先延ばし傾向”と比較したパラメーターは、肥満(BMI >25kg/m2)、成人期体重10kg増加(AWG10: 20歳時と2015年の体重を比較して10kgを超える体重増加の有無)、内臓肥満(腹囲≧85cm)とMet S(腹囲≧85cmに加えて高血圧・糖代謝異常・脂質代謝異常のうち二つ以上を有する)です。対象とした795人中、肥満は182人(22.9%)、AWG10は169人(21.3%)で、Met Sと判定された人は123人(15.5%)でした。
さて、これらのパラメーターと“宿題先延ばし傾向”との関連ですが、“ホワイトカラー族”においては、強い先延ばし傾向を示した人は、先延ばし傾向がなかった人と比較すると、AWG10を示すリスクが1.85倍高く、Met Sになるリスクも2.29倍高いことが分かりました。また年齢、教育レベルやさまざまな生活習慣で補正してもホワイトカラー族では先延ばし傾向とMet Sリスクは相関していたのですが、ブルーカラー族にはこのような相関は認められませんでした。著者らは“先延ばし傾向と肥満関連因子とは相関するが、労働形態によって変容することが示唆される”としていますが、「ん?!どういうこと?!」と思わないではありません。ここはちょっとひっかかりますね〜
ただ、今回の論文が示した結果、背景に医学以外、とくに「行動経済学」という学問の裏付けがあるようです。論文の中に見慣れない記述や専門用語が頻出しているので調べてみました。曰く、“社会情緒的スキル、とりわけ自己管理や自己調節と、肥満などの良くない健康アウトカムとの関連が注目されている”だの“時間的非整合選好(「時間割引」または「現在バイアス」による選好)”だの、「なんのこっちゃ?」という箇所がたくさんありました。「時間的非整合・現在バイアス理論」は何と2002年ノーベル経済学賞を受賞していました・・・・・・
思い切り簡略化して言えば(簡略化しない部分=よく理解できなかった部分なのですけど)、「現時点で望ましいとされた行動は、将来の時点では望ましいとは限らない(時間的非整合)」「将来の利益や満足を、現在のそれに比べてどれくらい割り引くか(時間割引あるいは双曲割引)、という選好は選択者の“我慢のなさ”のパラメーターになる」ということのようです。
“将来の肥満による不利益よりも、今目の前にあるお菓子の美味しさ”を高く評価して選び取る(現在バイアス)、という行動は“宿題を先延ばしにして、より楽しいことを先にする”という行動に通じると言うのです。ここまで理解する?のに、主に大阪大学社会経済研究所教授をされていた池田新介博士(現関西学院大学経営戦略研究科教授)の国内・海外の論文を参考にさせて頂きました(健康経済学雑誌 2010 29:268 エルゼビア出版など)。池田教授の著書に「自滅する選択−先延ばしで後悔しないための新しい経済学(東洋経済新報社 2012)」というのがあります。このタイトル、まさにMet Sに対する刺激的すぎる警鐘です。
とはいえ、若干の疑問が残ります。私は夏休みの宿題は、休みに入って翌日には「絵画」(今も苦手です。でも猫の顔を描いたら孫は褒めてくれたけど・・・・・・)を除いてすべて終えていました。ところが大人になって60歳の時点で20歳時と比べた体重増加はちょうど10kg、腹囲はかろうじてセーフというところまで来ていて、病気にならなければ今頃は間違いなくMet Sに突入していたはずです。
いくら子供の頃は“先延ばしとは無縁”であっても、大人になってその“美点”を失って先延ばし族に仲間入りし、Met Sへまっしぐら、というのは珍しくないと思います。命名するとすれば「成人発症先延ばし症候群」かな・・・・・・まさに私自身が“リアル・ワールド・ケース・リポート”です。
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2020年03月01日

日本の65歳以上の高齢者は既に全人口の28%を越え、認知症患者も500万人を突破していると推計されています。この増加傾向は当面収束の気配も見せず、何とかしないといけないのですが・・・・・・とは言っても今のところ抗認知症薬の開発はことごとく失敗していて、夢のような新薬は、それこそ夢のまた夢・・・・・・
こうなれば“何とか食生活で予防”ということで、何やら怪しげな書籍や記事も少なくありません。
でもこの分野、うさんくさい情報だけではなく、科学的に高いレベルの臨床研究も行われつつあります。その中で、昨年発表された日本発の二つの研究を紹介します。どちらもカマンベールチーズが関係しています。
ひとつは潟Lリンホールディングスの研究所と慶應義塾大学との共同研究です。彼らはカマンベールチーズに豊富に含まれるβラクトリンをサプリメントとし、114人の健康中高年を対象に、プラセボ(偽薬)を対照においた二重盲検のランダム化(無作為割り付け)比較試験で記憶機能の有意な改善を示しました(フロンティアーズ・イン・ニューロサイエンス誌 2019年3月)。
同社研究所は以前より疾患モデルマウスを用いた東京大学との共同研究で、カマンベールチーズ摂取がアルツハイマー型認知症の予防効果があり(プロス・ワン誌 2015年)、その有効成分としてβラクトリンを発見し(加齢の神経生物学誌 2018年)、今回はそれらの知見に基づいて健康ヒトでその効果を検証したものです。
いまひとつは桜美林大学、東京都健康長寿医療センター、竃セ治、韓国慶煕大学校の共同研究グループの論文で、軽度認知障害がある高齢女性(70歳以上、71人)を対象として、カマンベールチーズ摂取の効果を同量のプロセスチーズを対照として比較検討しました(米国医療指導者学会誌 2019年11月オンライン先行掲載)。この研究もランダム化されていて、カマンベールチーズを3ヶ月摂取したら、3ヶ月の空白期間を設けて、次にプロセスチーズを3ヶ月摂取するという手法(クロスオーバー試験)をとるなど、高レベルの研究デザインです。比較したのは、脳内神経伝達に関与し、認知症で減少しているとされる(疾患の神経生物学誌 2016年)血中脳由来神経成長因子(BDNF)という物質です。
この研究では、カマンベールチーズ摂取群はプロセスチーズ摂取群に比べBDNFの値が有意に上昇していました。簡単な認知機能検査も行っているのですが、こちらの方は両群で差はみられませんでした。ひょっとすれば、この知見は認知症予防食としてのカマンベールチーズに期待をもたせるものかも知れません。著者らはカマンベールチーズに含まれ、脳内神経伝達に関与するオレアミドという物質がBDNF上昇の鍵を握っていると考えているようです。
個人的には二番目のカマンベールチーズVSプロセスチーズに興味を引かれるところです。摂取量は標準の6Pチーズ(約100g)を1日2Pなので、十分食べられる量です。チーズには詳しくなかったので、いろいろ調べてみました。
要するにこの結果が正しいとするならば、白カビ発酵チーズは認知症に効くかもしれないけど、発酵していないプロセスチーズの状態になれば効果はない、ということなのでしょう。となれば、白カビからでる酵素が蛋白質を分解してアミノ酸が生成される、あるいは脂肪が分解されて脂肪酸が生成される、それらの化学反応の過程で生じるある種の物質が炎症の抑制や神経細胞変性を阻止するように働く、ということかも知れません。
欧州料理では、たまに琵琶湖の鮒寿司に匹敵するような強烈な臭いのチーズがありますね。ブルーチーズという種類が多いのかな。まあ、それに比べたら白カビのカマンベールチーズはどうってことないので、毎日食べられないことはないな、と思います。
ただ今回紹介した研究結果は“統計学的に有意な効果”ではあっても、“効果の大きさ”は驚くほどではありません。ですから実際、地球上でたくさんカマンベールチーズが食べられている地域での認知症の疫学データ、すなわち“リアル・ワールド・データ”において目に見える効果が得られるかどうかを、ぜひ知りたいところですが、そうなるとチーズ摂取以外の要因が多すぎて、解釈は難しいでしょうね。
しかし効果がはっきりするまで待っていては“too late”ということになりそうです。ここはチーズが好きな方は、これらの研究を信じてカマンベールをチョイス!という手もあります。
なお、私は潟Lリンホールディングス、竃セ治、いずれからも資金提供などいかなる援助も受けていないことを明言しておきたいと思います。以上、利益相反開示でした。
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日記
2020年02月15日

“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”私たちの同期でご存じない方はまずいないでしょうね。いしだあゆみさんの大ヒット曲、「ブルーライトヨコハマ」です。ネットで調べるとこの曲のリリースは1968年の12月25日だったそうですが、ブレイクしたのは翌年からです。ちょうど高三の冬なのでこの曲を聴きながら大学受験勉強にいそしんでいたことになります。記憶をたどると、何といっても1969年1月安田講堂攻防戦が勃発して東大入試が中止になったのはインパクトがあったな・・・・・・あれからもう半世紀とは、まさに光陰矢の如し。
ちょっと前置きが長くなりましたが、今回は「ブルーライト(以下BL)が寿命に及ぼす影響」についてのお話です。「なんだ、思い切り引っ張ってそれかよ〜」と言わないで下さいね。字数の都合とかいろいろありますので。BLと言えば、2014年ノーベル物理学賞の“青色発光ダイオード(LED)”ではなくて、つい“街の灯がとてもきれいねヨコハマ〜♪”が出てくるところが年齢のなせる業でしょうか。
BLとは波長380〜500nmの可視光線をいいます。LED照明と電子機器の普及によって、ごく身近な存在となりましたね。照明機器以外の三大BL曝露源はスマートフォン、電子ゲーム、パソコンだそうです。光・電磁波を波長の短い順番で並べると、BLは紫外線A波のすぐ後に位置します。紫外線に近いということは、可視光線の中では最も高エネルギーを持つということです。ですから植木等さんではありませんが、“そりゃ、体にいいわけないよ、わかっちゃいるけどやめられない”(「スーダラ節」1961年)ということになります。
確かに以前よりBLが睡眠やサーカディアンリズムに良からぬ影響を与え(米国科学アカデミー紀要 2015年)、皮膚老化(フリー・ラジカル生物学・医学誌 2017年)や、うつ・糖尿病・高血圧・肥満・がんなどの加齢関連疾患に関連しているという報告(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌 2017年)はあったのですが、実際に寿命に及ぼすBLの影響についての実証的な研究はありませんでした。そこで今回、米国オレゴン州立大学のグループはキイロショウジョウバエを用いた寿命実験を行い、その結果を発表しました(ネイチャー・パートナー・ジャーナル/日本加齢学会誌2019年)。
「なんだ、ハエか」と言ってはいけません。キイロショウジョウバエは昔からヒトの睡眠や日内変動、あるいは寿命関連の研究に用いられ成果をあげている実験対象なのです。驚くことに多数の重要な疾患関連遺伝子が人類と共通しているとされています。もし見つけても、簡単に殺虫剤などを振りかけないで下さいね。そうは言っても、ふつうのハエと見ても区別つかないけど・・・・・・
それにヒトを対象とした寿命実験など行った日には、結果がでるまでに莫大な時間を要するので、研究費が保たない、それ以上に研究者の寿命が保たない・・・・・・いずれにしても非現実的です。やはりここは動物実験しかありません。
結果はなかなか興味深いものがあります。1日12時間BLを浴びたハエは、24時間暗闇で過ごしたハエや1日12時間BLをカットした白光を浴びたハエに比べて有意に寿命が短く、網膜細胞と神経細胞に変性・損傷が生じ、壁を登る能力も低下していました。脳の神経細胞変性は、眼のない突然変異体のハエにおいても認められているので、脳への影響は必ずしも眼を経由しているわけではありません。また老いたハエではBL曝露によりストレス応答遺伝子が発現していました。この現象は若いハエでは見られないので、著者らはBL曝露の蓄積は老化の過程でストレッサーとなりうる、すなわちBLは老化を促進する可能性があると推論しています。
ストレス(ここでは生物学的・物理化学的な“侵襲”という意味です)に応答するシステムはいかなる生物にも存在しています。ストレス状態は生命体にとって危機ですので、生命体は免疫・炎症などのシステムを起動して対応します。これは危機回避のためには必須の反応なのですが、皮肉なことにこれが積み重なれば生命体を害する、というジレンマがあります。たぶんハエの寿命短縮もこれに関係しているのでしょう。
聖書を読まれたことがある方はご存じかと思いますが・・・・・・「創生記第1章」の有名な言葉を紹介します。私のような不信心者が僭越の極み、恐れ多いことですが、New King James Versionの聖書・英語版を訳させて頂きます・・・・・・ “神は仰せられた。「光あれ。」すると光が立ち現れた。神は光をご覧になり、「良きかな。」と思し召された。”
さあて、神様はBLについてどう思し召されるかな?きっと「良きかな。」じゃないでしょうね。BL、どう考えてもやっぱり使い過ぎですよね。
「汝、信号だけにしておくべし。」というご託宣がでそうな気がします。
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日記
2020年02月01日

昨年の10月22日、大阪府医師会主催「大阪の医療と福祉を考える公開討論会 “がん医療を考える−その知識、本当ですか?”」で演者としてお話をさせて頂く機会がありました。40年近く血液がん治療に従事していたのですが、何の因果かここ数年は自分自身が主ながん治療を一通り受けるはめになったうえに、大阪府医師会の仕事にも長く携わっていたのでお呼びが掛かりました。まあ、発病当初にいくつかの仕事をドタキャンした経緯もあったので、ここは借りを返しておこうと思ってお受けした次第です。
この公開討論会での私の主な役目は、“患者になった医師の経験談”を語ることだったのですが、加えて終末期医療に関する最も新しい取り組みである「アドバンス・ケア・プランニグ(Advance Care Planning ACP)」についても意見を述べるように依頼されました。ACPについては知らなかったわけじゃないけど、公開討論会ともなれば、いいかげんな事も言えないので、使い慣れた手法である文献検証を基本に責を果たすことにしました。
2017年7月15日付けのこのブログで京都市が公表した終末期医療のための「事前指示書(Advance Directives AD)」のことを書いたのですが、このADにしろ、生前の意思表示(リビング・ウィル)にしろ、お世辞にも浸透してきているとは言い難いのが現状です。これは“終末期に能動的に取り組むのが文化的に馴染まない”“医療従事者などの人的資源が不足している”“日本ではADに法的拘束力がない”など、さまざまな理由(言い訳?)が挙げられていますが、どうもそれだけではないようです。そこに登場したのがACPです。
ACPには終末期医療の質を向上させ(患者さんや家族の満足度を高める、と言い換えても良いと思います)、かつ“無意味な(益が害を上回らない)医療”を避けることなどが期待されていて、厚生労働省はACPの愛称を「人生会議」と命名してその認知度をあげ、浸透を図っています。まあ、それにしても、もうちょっとマシな愛称がなかったのかな〜 “死”とか“終末期”とかの言葉を避けたかったのは分かるけど。個人的には“トワイライト・カンファレンス”なんか良いと思うのだけど・・・・・・でもこれだと夕方に行う会議と間違われるかもね。
ACPとは、患者さん本人、家族、その他の親しい人(代理決定者を含む)、医師・看護師・ケースワーカーなどの医療従事者などが一同に会して、患者さん自身の“一番大事にしたいこと”を基軸にして、今後踏み込んでいかざるを得ない“人生の黄昏”でどのようにケアを行っていくかを話し合い、記録し、共通理解を持つという試みです。ここで重要なのは、ACPは常に更新されるべきもの、ということです。人の気持ちは変わります。一番大事なことも死生観も変わって行く可能性があり、ACPもその都度更新されるべき、というのが考え方の基本なのです。まあ、口で言うほど実行は簡単ではありませんが。
ADがそうであったようにACPも“舶来の概念”です。欧米でもAD→ACPという流れになっているようです。というのも、かなり以前からADが終末期医療の質向上にさほど寄与しないという報告(米国医師会雑誌 1995)がある一方、ACPは患者・家族の満足度を高めるとされています(英国医師会雑誌 2010)。ただしあまり早すぎる時期にACPを行うと有益性が低下するようです(米国医師会雑誌・内科学2014、精神腫瘍学 2016)。これは元気な時や健康な時にACPを行っても、その時に当事者(患者)が下した意志決定は安定せず、時が経つと容易に覆るからです(米国医師会雑誌・内科学 2014)。
ではACPはいつ行うべきか?それを決めるための指標として最も優れているとされているのは「サプライズ・クエスチョン」です。この指標を用いるのは、最も多くの患者情報を持つ主治医です。その内容とは、「この患者さんが1年以内に死亡したら驚きますか?」です。この質問に対する主治医の答えが「No、驚かない」のであれば、ACPを行う時期にきている、ということになります。ずいぶん荒削りな質問・・・・・・と思われるかも知れませんが、この質問には近未来の死亡に関する高い予測力があることがイタリアのグループから報告されていて(緩和医療誌 2014)、メジャーな欧米のテキストにも記載されています。
とはいえ、ACPを行うにあたっては、忘れてはならないことがあります。患者さん自身が“ACPを受けたい”という状況でなければ始めてはいけない、ということです。終末期医療についての不安や拒絶がある以上、ACPはその効果を発揮できないと考えるべきです。
確かにACPは“欧米(とくに米国)流の自己決定権至上主義”に根ざしている感はあります。実際、オランダの研究によればACP関連の研究の80%以上が米国発です(緩和医療誌 2014)。とはいえ、“人生の最終決定は自分で決める”というのは、国境を越えたここ日本でも、決して間違ってはいないと思うのです。
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日記
2020年01月15日

あなたは楽観主義ですか?それとも悲観主義?・・・・・・と言われても、何をもって楽観主義、悲観主義とするかですが・・・・・・ここは30年以上前からこの“楽観主義という心の有り様”が健康に良い影響を与えると説くマイアミ大のチャールス・S・カーバー教授の提唱する定義(ジャーナル・オブ・パーソナリティ ワイリー出版 1987年6月号)に従って“未来に良いことが起こると期待する”のを楽観主義、逆に“未来に悪いことが起こると気を病む”のを悲観主義としておきます。
この楽観・悲観主義という心の有り様(欧米ではしばしばマインドセットと表現されます)、意外と臨床疫学の分野で注目されています。これらは単なる精神的な性向と思われがちですが、以前からネガティブな感情や慢性ストレスが心血管病など身体的な健康に関連するという報告があり(米国心臓病学会誌 2005年3月号)、これを“修正可能な危険因子”として捉えて、さまざまな研究が行われています。マインドセットもまた修正可能だと考えるところがまさに欧米人らしい“楽観主義”ですね。
しかし楽観主義が体に良い影響を与えるとなれば、そうなるべく努力してみるのも一興です。ではどの程度の“御利益”があるのかということで、最新の研究論文をふたつほど紹介しましょう。まずニューヨークのマウント・サイナイ・聖ルカ病院の研究者らによるシステマティク・レビュー&メタ解析論文です(米国医師会雑誌・ネットワーク・オープン 2019年9月号)。
著者らはデータ・ベースを検索して楽観主義と心血管病罹患リスク・すべての原因による死亡との関連を研究対象にしている論文15編(がんリスクを対象とした研究は除外)を抽出しました(対象者総計 229,391人)。15編のうち心血管病リスクを検討していたのは10編、全死亡リスクを検討していたのは9編で、平均観察期間は13.8年(2〜40年)でした。
すべてのデータを集積して解析したところ、楽観主義の程度が高い人では心血管病リスクは35%低く、全死亡リスクも14%低くなっていました。ただし論文間での結果のバラツキは小さくはありませんでした。ここで言う“楽観主義の程度が高い人”とは、多くの論文では性格を判断する質問紙法の点数によって対象を3ないし4群に分けて、最も悲観的なグループを基準にして最も楽観的なグループの相対リスクを検討しています。
この質問紙法、最も多くの論文で採用されていたのが「改訂版ライフ・オリエンテーション・テスト(LOT-R)」というもので、冒頭で触れたカーバー先生らが発表したものです(臨床心理学レビュー誌 エルゼビア出版2010年11月号)。日本におけるこの分野の専門家である筑波大学の外山美樹準教授によれば、このLOT-R、日本語版もあるようですが批判も多く(心理学研究 2013年 第84巻 第3号)、外山先生らは楽観主義にも(そして悲観主義にも)二面性、すなわち功罪の面があることに注目されているようです。全くそのとおりだと思うな〜
ともあれ、楽観主義は全死亡リスクやがん死亡リスク低下に繋がるとする研究報告はあったのですが(米国疫学会雑誌 2017年5月号)、今回紹介した論文は、悲観主義が修正可能な、あるいは修正すべき心血管病リスクの危険因子であることを示したという点で意義があります。
でも・・・・・・とくに切迫していないニュートラルの状況であればいざしらず、客観的に厳しい状況で楽観主義を貫くのは危機管理の観点からいかがなものか、と思わないではありません。しかし現在までに蓄積されているエビデンスから考えると、やはり楽観主義の方が健康や疾病対策には有利のようです。では、ほんとうに楽観主義者の方が長生きするのでしょうか?
この観点から研究を行ったのがボストンのグループです。かれらは米国の女性看護師と男性退役軍人のデータデースを用いて、マインドセットと寿命の関連を調べたところ、最も楽観的な人は悲観的な人に比べると85歳以上生存する可能性が約15%高いという結果がでました(米国科学アカデミー紀要 2019年9月号)。
同じ状況でも、ある人は楽観的に、またある人は悲観的になる、というのは不思議な気がします。19世紀を代表する詩人・作家であるオスカー・ワイルド氏は“The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole.”(楽天主義者はドーナツを見て、悲観主義者は穴を見る)と言ったそうです。そうか、ドーナツの穴を見たらダメなんだ・・・・・・
突然ですが古い唄を思い出しました。クレイジー・キャッツ・植木等さんの「だまって俺について来い(曲 萩原哲晶、詞 青島幸男:1964)」です。“銭のない奴ぁ俺んとこに来い!俺もないけど心配するな。見ろよ、青い空〜白い雲〜そのうち何とかな〜るだろう♪”
まさに前途に対する無根拠かつ過剰な期待、これぞ究極の楽天主義であり、ひょっとすれば最も低リスクの生き方なのかも知れません。
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