2020年01月01日

がんサバイバーの心血管病のリスク


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あけましておめでとうございます。2020年は子年で閏年、高校卒業後51年目に突入ですね。このブログ、今年もお暇なときに読んでいただけると嬉しいです。

昨年の11月から12月にかけて3回ほど、ガチガチの臨床ネタから離れて半雑学的なネタを書きましたが、またシリアスなネタに戻りたいと思います。半雑学もそれなりにシリアスなのですけど・・・・・・

「がんサバイバー(cancer survivor)あるいはがんサバイバーシップ(cancer survivorship)」という言葉、お聞きになったことがあるでしょうか?サバイバーという単語、つい「サバイバル(survival)」を連想するので、「がんを克服した(治った)人」と思われがちです。確かにそういう意味で使われることもないではありません。実際、この言葉は世界的にみて、異なった定義で使われてきた経緯があります(ランセット誌・腫瘍学 2015年)。

1986年設立の全米がんサバイバーシップ連合は「がんと診断されてからの全経過を生きるがん患者」をキャンサー・サバイバーと定義しています。米国国立がん研究所はさらに定義を拡大して、がん患者の家族・友人・介護担当者まで含んで患者の身体的・精神的・社会的なケアのあり方を模索するスタンスをキャンサー・サバイバーシップとしています。一方、欧州がん研究・治療機構はがんと診断されて初期治療が終了して(維持療法の有無は問わない)、現在活動的ながん病変がない人をサバイバーとしています。欧州の定義は医学的には明確ですが、ちょっと狭すぎるかも知れません。

定義を広げれば、より大きな枠組で医療やケアを考えることができるのですが、その一方で治療・ケア目標が散漫になる嫌いがあります。かといってあまり定義を厳密にすると結果的にはその分野の矮小化に繋がります。最近の趨勢では、がん経験者に対する身体的、精神的、社会的ケアを継続して提供することを重視する観点から、現在の治療の有無にかかわらず「がんを経験した現在生存中の人すべて」を「がんサバイバー」とすることが多いようです。

今や日本では、二人に一人は一生のうちに一度はがん罹患し、昨年8月の国立がん研究センターの発表によれば、がんと診断された人のうち、5年以上生存する人が約67%に達しています。世界的にみても、先進国では診断後ほぼ半数の患者が10年以上生存すると考えられています。これらのがんサバイバーは、がんの増悪・再発以外でも一般の人とは異なるリスクを持つ可能性があります。そのうちのひとつに「心血管病のリスク」が挙げられます。

最近、疫学研究の名門、英国のロンドン大学衛生熱帯医学大学院のグループが
成人の20部位のがんサバイバーを対象とした中長期にわたる心血管病リスクについての論文を発表しました(ランセット誌 2019年)。この研究では1990〜2015の期間で20部位のがんについて、診断から1年以上生存した18歳以上のがんサバイバー108,215人とがん以外の条件をマッチさせた対照となる人523,541人を比較検討しています。

さて結果ですが、深部静脈血栓症(片側の下肢の腫脹・疼痛、臥床や骨盤手術後や航空機搭乗時の不動で起こる。運が悪いと肺塞栓を起こすこともある)は、20のうち18部位のがんサバイバーでリスク増加がみられましたが、その程度はがんの部位によってかなり異なっていました(前立腺がん1.72倍、肺がん5.25倍、膵臓がん9.72倍)。診断から時間が経過するとともにリスクは低下しましたが、それでも診断後5年目でも有意のリスク増加が持続していました。また20のうち10の部位のがんで心不全あるいは心筋障害のリスク増加がみられました(血液がん1.94倍、食道がん1.96倍、肺がん1.82倍、腎臓がん1.73倍、卵巣がん1.59倍など)。

その他、さまざまな部位のがんで不整脈、心膜炎、冠動脈疾患、脳卒中、心臓弁膜症のリスク増加がみられたのですが、脳卒中のリスク増加は脳腫瘍で顕著でした(4.42倍)。心不全、心筋傷害、深部静脈血栓症のリスク増加は、比率でいえば心血管病の既往のない若年がんサバイバーでより大きかったのですが、生じた心血管病の絶対数でみると、最も関連が深かった要因は加齢であり、二番目に関連が深かった要因は化学療法を受けたことでした。

従来から深部静脈血栓症とがん罹患が深く関連していることはよく知られているのですが、そればかりではなく、がんサバイバーではさまざまな心血管病のリスクが増加するようです。がんの予後を改善するには、がんそのものの治療のみならず、心血管病についても目配りしておく必要がありそうです。がんのような大きな病気をすると、つい他の健康問題がおろそかになりがちです。ご注意くださいね。
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2019年12月15日

脳内の獏、MCH産生神経細胞が夢を食べる

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「獏(ばく)」という伝説の超自然的存在、ご存じでしょうか?何でも“夢を喰う”のだそうです。悪夢を好んで食べてくれるという話もあるので、悪いヤツじゃなさそうな・・・・・・
さて、この“ナイトメア・イーター”、ほんとうにヒトの脳にも棲んでいるのかも知れませんよ。

メラニン凝集ホルモン(MCH)なる物質があります。この小さなペプチド(アミノ酸が何個か結合したもの)、もともとは魚類で発見され、皮膚にあるメラニン産生細胞を凝集させて体色を白く変化させる作用を持っています。このMCH遺伝子、哺乳類でも種を超えて広く保存されているのですが、哺乳類ではもはや体色を白くする作用はなく(あったら美白商品として通販で売れるのにね〜)、その働きは長らく謎だったのです。MCH産生神経細胞(以下MCH神経)はマウスでは視床下部外側野に限局していることが分かっていて、主としてマウスを使った動物実験でその機能が研究されてきました。

最初に注目されたのはMCHと摂食行動との関連です。MCHは視床下部による摂食行動調節に深く関わっていると報告されました(ネイチャー誌1996年、同1998年)。しかしMCHの機能は、どうもそれだけではなかったようです。最近注目されているのは、睡眠・覚醒調節ホルモンとしてのMCHです。

このMSHと睡眠・覚醒調節というテーマについて精力的に研究を進めているのが名古屋大学・環境医学研究所のグループです。彼らはさまざまな遺伝子改変マウスを作成して研究して進めているのですが、なかでも光を使ってMCH神経だけを活性化したり抑制したりできる技術を開発することにより、MCH神経がレム睡眠とノンレム睡眠、両方の調節・制御に重要な役割を果たしていること明らかにしました(米国神経学会誌 2014年)。さらに最近、彼らはMCH神経の重要な機能のひとつとして、“レム睡眠中にみる夢の記憶の消去”があることを報告しています(サイエンス誌 2019年)。

ヒトは人生の約三分の一を睡眠に費やしています。1日8時間も寝ていないぞ!という方も少なくないでしょうけど、それでも幼少児から考えると、今までに少なく見積もっても通算20年以上は寝ていることになります。眠りにつくと、ますノンレム睡眠(脳も体も寝ている)から始まり、ついでレム睡眠(脳は活動していて、目は激しく動くが体は寝ている。この間夢を見ているとされる)に移行する、この約90分のサイクルを目覚めまで繰り返します。レム睡眠時の夢は悪夢も善夢も、目覚めたときにはほぼすべて忘れているのが普通です。

なんのためにヒトは眠りにつき、夢をみるのでしょうか。その答えは分かっていません。ですけど、たぶんそれは脳の機能を正常に維持するための重要なプロセス、あるいはメンテナンス作業ではないかと考えられています。そしてレム睡眠時のかなり荒唐無稽な夢は、その記憶を消去しておかないといけないのでしょう。そして夢の消去を担うのがMCH神経というわけです。MCH神経はいわば“忘却神経”ですね。この機能を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の治療に応用できないか、という着想で研究も始まっているようです。そうなれば多くの人が救われると思いますので、うまくいくと良いですね。

「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」というのは最近大ヒットしたアニメ「君の名は。」(新海誠監督 2016年、なぜか語尾に“。”がある)の中のセリフです。これぞまさしく夢の消去です。一方、良く似た題名だけど私たちが生まれて間もない頃のラジオドラマ「(元祖)君の名は」では「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが一世を風靡したそうです。さすがに記憶はありません。

1970年11月25日、大学生だった私は、講義も早く終わって難波あたりをぶらついていました。その時、突然の号外で知ったあの事件・・・・・・作家三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で人質をとって総監室占拠し、自衛隊員を前にアジ演説をしたあと割腹自殺を遂げました。三島氏は生前、このような言葉を残しています・・・・・・「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。」・・・・・・彼はその思想と行動の苛烈さとは裏腹に、人間の弱さもよく分かっていたはずなのに、どうしてあんなことを、と思わずにはいられません。あるいは彼は自らの悪夢を消去できなかったのでしょうか・・・・・・

このブログ、今年も読んで頂いてありがとうございました。少し早いのですが、メリー・クリスマス、そして良いお年を!おめでたい初夢が獏に喰われませんように。
ではまた来年・・・・・・See you next year, my friends!



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2019年12月01日

動脈硬化という“ヒトの業”


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“生まれ落ちた瞬間から動脈硬化は始まる”という言説は誇張があるにしろ、一面の真実を含んでいます。血管は「管」ですので社会のインフラと同様、使い始めた時から傷みが始まりますから。

生まれてから死ぬまで血液が流れる血管には絶えることなく負荷がかかり続けます。とくに血液に直接触れる血管内皮細胞は物理的ダメージが起こりやすい部位です。内皮細胞が障害されると、その隙間から白血球の一種である単球という細胞が血管壁に入り込み、姿形を変えてマクロファージ(大食細胞)に変身してコレステロールなどの脂質を溜込みます。すると血管壁は肥厚し、そのため血管腔は狭くなり、内皮細胞の障害はさらに加速し、ついには血栓が形成されます。これが動脈硬化の基本型です。内腔狭窄・血栓形成により血流が悪くなって、血液が流れるはずの組織・臓器では“虚血”となり、運が悪ければ血栓の一部が流れていって、突如血管を塞ぐ(塞栓症)こともあります。

動脈硬化は全世界の死亡の3分の1を占める心血管疾患・脳卒中の主要原因なのですが、その動脈硬化を増悪させる要因が「危険因子」と呼ばれるもので、加齢、高血圧、高脂血症、喫煙、肥満、糖尿病がよく知られています。人類と動脈硬化は“有史以来の付き合い”であることも分かっていて、古代エジプトのミイラをCTで解析したところ、その38%に動脈硬化の証拠がみられたと報告されています(英国医師会雑誌 2013)。またエジプトのみならず世界各地のミイラにも同様の所見がみられ、その原因として現代の危険因子というより、“ある種の慢性炎症”が原因ではないかとも考えられています(グローバル・ハート誌 エルゼビア出版 2014)。

動脈硬化には、まだいくつかの謎があります。そのひとつが心血管疾患を初めて発症した人の15%くらいは危険因子が全くないこと、いまひとつは人類に最も近いチンパンジーはヒトより血清脂質や血圧が高いのにもかかわらず、動脈硬化病変が生じることが極めて稀、という事実です。これらの事実は“ヒトという種に固有の危険因子”があることを示唆しています。

むろんチンパンジーも心臓疾患に罹患し、ヒトと同様に「心臓突然死」も「慢性進行性心不全」も起こります。ただそれらの原因が全くヒトと異なるのです。ヒトでは主要原因は冠動脈の動脈硬化を基盤とする「虚血性心疾患」ですが、チンパンジーでは冠動脈硬化はほとんど起こらず、ヒトではまずみられない「原因不明の心筋の線維化」が主要原因であることが分かっています(応用進化学誌 ワイリー出版 2009)。では、なぜ進化学的には極めて近縁なヒトとチンパンジーが動脈硬化でこれほど違うのでしょうか。

この問題に長年取り組んでいるのがカリフォルニア大学サンディエゴ校のグループです。彼らによれば、鍵となるのは細胞表面に発現していて重要な機能を担う「シアル酸」という物質です。自然界にはNeu5AcとNeu5Gcという二種類のシアル酸が存在していて、ヒト以外の哺乳類はNeu5AcをNeu5Gcに転換するCMAHという酵素を持っていますが、ヒトのCMAC遺伝子は200〜300万年前にその機能を失ったことが分かっています。最近彼らは、ヒトでは、CMAHが機能しないのでNeu5Gcが合成できず、それが動脈硬化に繋がることを、マウスを用いた動物実験で示しました(米国科学アカデミー紀要 2019)。

「何でそんな大事な酵素活性を無くしたんだよ!」と文句の一つも言いたいところですが、今現在人類が繁栄しているところをみると、利点もあったはずです。おそらくNeu5Gcが多くの人畜共通感染症の“微生物の入り口”になっていたので、Neu5Gcを失うことによって、それらの脅威から逃れることができたと考えられています。ではNeu5Acは安全か?と言われたら、そうはいかなくて、例えばインフルエンザはこれを入り口として感染を起こすのですけど・・・・・・でも200万年前の突然変異はヒトにとって大正解だったのでしょう。ただ200万年後に文明の発展によって、これだけ動脈硬化の危険因子がでてくるとは人類としては想定外だったのかも・・・・・・

CMAH機能喪失でもうひとつまずいことが・・・・・・これも今回紹介した研究グループが報告してきたことですが(米国科学アカデミー紀要 2004,2010など)、
Neu5Gcはヒトには存在しないが、他のほぼすべての哺乳類には存在していて、とくに赤身肉(牛、豚、羊など)には豊富に含まれています。ヒトがこれらを摂取するとNeu5Gcが抗原となり、それに対する抗体が産生されます。そして抗原・抗体反応のあるところには炎症が起こる・・・・・・これがひょっとしたらヒト特異的な動脈硬化のメカニズムかも知れません。確かに赤身肉、とくに加工肉摂取は高死亡率に繋がるという論文も少なくありません(英国医師会雑誌 2019など)。

進化の道が、ヒトでは動脈硬化という“種の業”に結びついた、というお話でした。めでたし、めでたし・・・・・・めでたくはないか。
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2019年11月15日

幸福の棲家はどこですか?

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画像診断は臨床医学の診断ツールとしてなくてはならないものです。最も歴史があるのはX線診断、今でも発見者にちなんで「レントゲン」と呼ぶ人がいます(レントゲン先生はこの業績で、第1回ノーベル物理学賞を受賞しましたが、呼び名は“X線”とすべきで“レントゲン”と呼ぶべきではない、と主張されていたそうです。見識あるな〜)。胸部X線検査は今でも検診や入院時検査として定番中の定番です。もっとも、その主な目的は日本で多かった(そして今も少なくない)肺結核のスクリーニングでした。肺がん検診としては、正直なところ、ちょっと荷が重い感は否めません。

頭部や脳については、画像診断の進歩はX線に比べたら比較的最近の出来事です。頭部の単純X線検査は下垂体腫瘍の診断など、役に立つこともあるのですが、頭蓋骨以外の情報が乏しくて、あまり有益とは言えませんでした。歴史が変わり始めたのは、私が大学を卒業した1975年、この年に初めて阪大病院にコンピュータ断層撮影装置(CT)が導入されました。もったいぶってなかなか撮ってもらえませんでしたけど・・・・・・今から考えたらほぼピンぼけ写真レベルでしたけどね。

CT検査はどんどん装置が進歩するにつれて画像が鮮明になり、脳出血やくも膜下出血の診断などに威力を発揮しました。さらに1980年代半ば以降になると核磁気共鳴撮影装置(MRI)が登場して、脳の解剖図譜をみるようなリアルな画像が得られて、初めて見たときにはかなりびっくりしました。その後も機器の性能向上、造影剤の普及が進み、脳梗塞の超急性期診断や微小脳動脈瘤の発見など、脳神経内科・脳神経外科・脊椎外科領域でのCT・MRIなどの画像診断の進歩はめざましいものがあります。

脳は部位毎に担当する機能が決まっていて、さらにおのおのの部位を連結する神経細胞のネットワークが備わっている超高性能のコンピュータなのですが、最近のMRIの進歩は脳の活動状態をリアルタイムで画像化し、ひいては感情や心が沸き上がるメカニズムをも解析することを可能にしつつあります。「すごい!」と思う反面、「そこまでやるか・・・・・・」と引き気味にさえなりますね〜だって人それぞれが唯一無二の存在であることを示す“心の有り様”さえも、神経細胞の電気的興奮と神経細胞間情報伝達の産物に過ぎない、そしてそれはMRIで図示可能と言われてもね・・・・・・ここは「それがどうした!」と居直るしかないでしょうね。

さて賛否はともかく、最近ちょっと興味を引かれた論文を紹介します。テーマは“脳での幸福の棲家”です。研究を進めているのが「京都大学こころの未来研究センター」のグループ・・・・・・心理学の分野では、“主観的幸福”は 感情成分と認知成分から構成されていて、質問紙法で安定して計測可能であるとされているようです(社会指数研究誌 シュプンリンガー出版1999、日本公衆衛生雑誌 2018)。「ほんとかな〜」「質問にウソ答えたらどうなるの?」などと思わないではないのですが・・・・・・

この京大のグループは以前に、より強く幸福を感じる人ほど脳の右楔前部(けつぜんぶ)の灰白質体積が大きいことを見いだしていたのですが(サイエンティフィック・リポーツ誌2015)、最近、右楔前部安静時活動が低いほど主観的幸福度が高いことを報告しました(サイエンティフィック・リポーツ誌2019)。脳の楔前部というのは、脳の断面図を近畿地方の地図に見立てたら、京都府北部あたりに相当します(なんのこっちゃ、と思う方は「楔前部」でネット検索してみて下さい。図がでてきますよ)。

さて、この右楔前部、2015年の報告では体積が大きい方ほど幸福度が高いというので、てっきり“幸福の棲家”と思いきや、むしろそこはネガティブな心根やさまよう心、あるいは鬱々とした心情に関係するという報告が多いのです(ブレイン・リサーチ誌2013)。そしてこのエリアの活動性が低い人がより幸せを感じると言うのなら、脳右楔前部はどちらかと言えば“不幸の棲家”に近いのかも知れませんね。もしそうなら、なるべく静かにしていて欲しいものです

フランスの哲学者のアランは“アランの幸福論”として有名な著作「幸福についての哲学的断章(1928)」の中で「幸福になりたいのなら、幸福を掴み取るという意志が大事なのだ」ということを繰り返し強調しています。積極的・能動的な“攻めの幸福論”ですね。一方浪速のフォーク・グループの雄、ALICEの谷村新司氏は楽曲「平凡」(ALICE ] 1987)で、むしろ控えめに「不幸じゃなければ幸せですか」と唄っています。

さて、ここで京大のグループの論文を踏まえると、幸福は“増点法”ではなく“減点法”で決まるように思えるので、異論は多々あるかも知れませんが、ここは谷村氏の判定勝ち、とさせて頂きたいと思います。




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2019年11月01日

“白衣高血圧”というリスク


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みなさんの中で、ふだんの血圧は正常なのに、健診や診察室で血圧を測ると高くなっていて、「血圧ちょっと高いですね〜」と言われた方、いませんか?これが「白衣高血圧」です。その頻度は診察室や医療環境で血圧高値を示した人の15〜20%、あるいはそれ以上とも言われていて、加齢につれて増加します。

実はかく言う私も「白衣高血圧」で、家庭血圧は正常だし、例えば化学療法治療前に血圧測定しても正常なのに年1回の職場健診に限って高いのですよね〜
これは昔からそうで、恥ずかしいから名札などは全部外して部署や職責が分からないようにして受診していました(健診を担当するのは病院職員じゃなくて業者だから“面は割れて”ません)。

白衣高血圧というのは、比較的知名度は高いのですが、類似概念や相反概念もあるので、整理しておきます。まず「白衣高血圧」は1984年に米国心臓病協会機関誌の「高血圧誌」に発表された概念で、「外来診察室の血圧が(140/90以上)だけど、ふだんの血圧=診察室外の血圧(厳密には24時間自動血圧計による測定値、簡便には家庭血圧)135/85未満であり、降圧剤は処方されていない状態」と定義されます。一方、良く似た用語に「白衣効果」があります(米国高血圧学雑誌:オックスフォード出版1995年)。これは「降圧剤処方の有無やふだんの血圧レベルにかかわりなく、診察室では血圧がふだんより上昇する状態」です。すなわち白衣効果は既に高血圧治療中の患者さんにもしばしばみられます。

白衣高血圧、白衣効果の逆が「仮面高血圧」です。この概念は2000年代初頭に提唱されたのですが「診察室では正常範囲だがふだんの血圧が高い−家庭血圧なら135/85以上−を示す状態」です。正常血圧者の10%くらいがこの仮面高血圧だとされていて、降圧剤治療中の人にも少なからず存在するので要注意です。これは24時間血圧モニタリングや家庭血圧をチェックしない限り完全に見逃される“放置できない高血圧”ということになり、家庭血圧測定の重要性を如実に示す疾患単位と言えます。

さて、話を白衣高血圧・白衣効果に戻しますと、この“診察室(のみならず健診などすべての医療環境を含みますが)での血圧上昇”を示す人は正常血圧の人と比較して、臨床アウトカム(心血管病罹患や全死亡などを意味します)が異なるか、という問題についてはさまざまな意見があり、一定の見解は得られていませんでした。そこで、最近米国のグループがこの問題について、現在までに報告されている文献を集めて解析しました(米国内科学会誌 2019年6月号)。

著者らは観察期間が最低3年以上(3〜19年)ある27編の論文を収集し、“未治療白衣高血圧者”と“治療管理されている白衣効果を有する患者”25,786人と正常血圧者 38,487人を集積して心血管病罹患リスク、全死亡リスク、心血管病死亡リスクを比較しました。

結果はと言えば、白衣高血圧者は正常血圧者と比較すると、心血管病罹患リスクで36%、全死亡リスクで33%、心血管死亡リスクでは2倍のリスク増加が示されました。一方、脳卒中リスクの増加は明らかではありませんでした。なおこの白衣高血圧者のリスク増加は、とくに高齢者や他の心血管病リスクを有する人で顕著であることがわかりました。なお治療中の白衣効果を有する患者では正常血圧者と比較して格別のリスク増加はみられませんでした。この高齢かつ心血管病のリスク因子を複数もつ、すなわち“高リスク”の白衣高血圧者は正常血圧者に比べ、心血管病や死亡リスクが高くなる、という結果は過去の国際共同研究の報告(米国心臓病学会誌:エルゼビア出版 2016年)とも一致しています。

さて、ここで“高年齢層”の定義が気になるところですが、私たちは遺憾ながら、臨床研究レベルでは“押しも押されもしない高齢者”です。ただし年齢だけではそんなにリスクは上がりません。しかし白衣高血圧の他に糖尿病、肥満、喫煙、高脂血症、アルコール過飲などがあれば、綿密な家庭血圧測定が必要で、家庭血圧はぜひとも130/80未満をクリアしたいところです。また白衣高血圧者は将来高率に“普通の高血圧”に移行することが知られていますので、血圧の自己測定はずっと続けてくださいね。何なら高血圧を専門とする診療所や病院の外来で「24時間血圧モニタリング」を行う手もあります。これらの結果を踏まえて、主治医の先生とよく相談して必要に応じて降圧剤を処方、ということになります。

今後も確実に歳はとっていくので、白衣高血圧が分かったら、その他のリスク因子の管理はもちろんなのですが、問題になるものがなくとも、とりあえず生活習慣の見直しがお勧めです。すなわち塩分は控えめに、カリウムは多めに、そして体重は・・・・・・「目指せ、正常BMI!」ということでしょうね。
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2019年10月15日

塩分を取り過ぎるとお腹が張る!?

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内科外来で「お腹が張って苦しい」と訴える人は少なくありません。「ガスが溜って・・・・・・」と表現する人も多いです。実際、海外のテキストにはしばしば「ガス関連症状」という項目で記載されています。この症状に下痢・便秘という便通異常や腹痛が加わって3ヶ月以上も持続する・・・・・・ということになれば「過敏性腸症候群」という病名がつき、その有病率たるや、人口の20〜30%とする報告も珍しくありません・・・・・・

診察を受けたい、あるいは薬を処方がほしい、とまではいかないけど、“お腹が張る=腹満”が気になることがある人、とすれば確かに人口の30%も誇張ではないのかも。ではどうしたら腹満を防げるか・・・・・・これがなかなか難しいのです。

腸管には通常200mlくらいの空気が入っていますが、1日産生量は通常食で600〜700ml、うち75%は摂取した食事成分が、腸内細菌コロニーによって発酵することによって生じ、残りは“無意識に飲み込んだ空気”と血管から腸管内に拡散してきた空気です。そして何らかの理由で腸管内の空気量が増加すると、腹満が起こると言いたいところですが、個人の“ガス貯留に対する感受性”の違いはとても大きく1,000mlのガスが貯留してもほとんど症状がないという人もあれば、その1/10量でも我慢できない人もいます。

腹満の多くは、腸管に器質的な病変がない、すなわち腸管の運動や腸管内部の水分調節や腸内細菌活動の失調など“機能的”な原因である場合がほとんどで、その背景には高頻度に“腸管感覚の過敏性”が存在します。

とはいえ、どのような腹満でも機能性ガス貯留が原因と決めつけるわけにはいかないので、重大な原因がないか一度は探っておく必要があります。腫瘍性のものであれば大腸がんや卵巣がん、非腫瘍性のものであれば糖尿病の自律神経障害による消化管運動障害がとくに重要です(メルク・マニュアル第20版)。

一度気になると、より一層気になるのも腹満のひとつの特徴です。となれば、“腹満が起こりにくい食事”があれば良いな、と思いますよね。でも“腹満が起こりにくい食事”が一般に考えられている“健康に良い食事”とは限りません。

もう20年以上前から欧米では健康食として「DASH食」(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌 1997年)が知られています。これは“果物、ナッツ、野菜、食物繊維が豊富で低脂肪”を特徴とする食事で、高血圧や心血管病予防のために考案されて高い評価を受けています。日本でも腸の健全な活動・便通改善のために食物繊維を豊富に摂る、ということがしばしば推奨されています。しかし腹満相手では一筋縄ではいかないのです。

食物繊維とは、簡単に言えば食品に含まれる消化吸収できない成分で、その多くは「糖質」に分類されるものです(消化吸収できる糖質は「炭水化物」です)。これら消化できない糖質=食物繊維は腸内細菌の影響を受けて発酵を生じやすく、ガスを発生させます。ではどんな食事がガス発生や腹満を軽減し得るかについて、豪州のグループが過敏性腸症候群の患者さんを対象として行った有名な研究があります。著者らによれば、腹満や便通異常がある場合には発酵性の糖質(豆、小麦、玉葱、牛乳、ヨーグルト、果物、人工甘味料など)を避けることが重要で、そうすれば症状は半分くらいになるそうです(消化器病雑誌 エルゼビア出版 2014年)。

この主張はなるほど、と思わせるところもありますが、じゃあ何を食べたら良いのか、という問題がでてきます。高血圧、心血管病を予防しつつ、腹満も起こりにくい食事となると困ってしまいますね。

そこで最近、ジョン・ホプキンス大学のグループが発表した論文は、少し新味もあるので紹介しておきます(米国消化器病学会誌 2019年7月号)。彼らの研究対象は20年前!(新しい視点で昔のデータを使い回し・・・・・・最近流行の手法)の「DASH-Sodium(=ナトリウム)試験」の参加者です。健康成人(平均年齢48歳、女性 57%)を対象に上記DASH食(低脂肪・高食物繊維)と普通の食事(高脂肪・低食物繊維)を摂る群にランダムに割り付け、「塩分摂取量の違い」という新しい切り口を加えて腹満の発生状況を比較したものです。腹満を訴える人は全体の36.7%もいました。確かに高食物繊維食では塩分の多寡にかかわらず、腹満を訴える人は低食物繊維食に比べ40%も増加するのですが、逆に塩分が多いと食事内容にかかわらず、腹満は27%増加したのです。腸管内の塩分濃度が高いと水分が腸管内に侵入してきて腹満が増悪すると説明されています。

さて、結論は食物繊維も大事だが一時にたくさん食べないように、そして塩分は控えめに・・・・・・というごくごく常識的な結論になりました。それともうひとつ、「言いたいことは言う」ことかな〜諺に“物言わぬは、腹ふくるるわざ”というじゃないですか・・・・・・
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2019年10月01日

「一日一万歩あるきましょう!!」と言ったのは誰?!


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「一日一万歩あるきましょう!!」という推奨は日本だけではないようです。とはいえ、一日一万歩は、平均歩幅を身長×0.45(普通の歩き方ならこれくらいとされています)で計算して、約7kmに相当します。「今日は歩くぞ!!」という日はともかく、“普通の日”でも毎日一万歩、というのはちょっと厳しいかも知れません。しかし今や歩数計は、スマホはもとよりガラケーでも標準装備ですので、歩数表示を励みに頑張っている方も少なくないと思います。

ところで歩数計の原型が発明されたのはけっこう古く、18世紀のヨーロッパにまで遡れるようです。それが日本にも伝わり、かの平賀源内先生がこれを改良して「量程器」なるものを発明したとか・・・・・・そういえば香川県さぬき市の平賀源内記念館で複製品を見たような、見なかったような・・・・・・

現代の歩数計が日本に現れたのは、1965年のことで、潟с}サ時計計器が開発し「万歩メーター」と銘打って発売しました。売り出し価格は大卒初任給が2〜3万円の時代で2,200円とかなり高価でしたが、当時起こり始めたウォーキング・ブームに乗って「一日一万歩あるきましょう」のキャッチ・フレーズとともに人気商品となったようです(同社HPによる)。なお「万歩計」は同社が取得した登録商標(1984)で、一般名詞では「歩数計」と言うそうです。

最も活動的な年代ならともかく、高齢者の健康増進の観点からみて「ほんとうに一日一万歩も必要なのか?!」と考えたのは米国ボストンにあるハーバード大学医学部の主要関連病院として名高い「ブリガム・アンド・ウィメンズ病院」の研究者らのグループです。東大の先生も共同研究者に入っています。彼らは“一日一万歩”の科学的根拠がどうもあやしいと思ったようです。

そこで彼らは米国の女性の健康問題を検証するための大規模住民研究である「ウィメンズ・ヘルス・スタディ」に参加した高齢女性(72歳±標準偏差5.7歳)に“ウェアラブル加速度計”(歩数も歩行強度も測定できます)を装着してもらって、データを回収・解析し、一日の歩数、歩行強度と「すべての原因による死亡(全死亡)」との関係について解析しました(米国医師会雑誌・内科学 2019年5月号)。

最終的にデータ収集の最低条件(起きている時間で1日10時間以上、計4日間以上装着)を満たしたのは16,741人、1日平均歩数は5,499歩でした。平均観察期間4.3年の間に504人が何らかの原因で亡くなっています。そこでまず1日歩数と死亡リスクの関係を検討するために、平均歩数の少ない人〜多い人の順に並べて4つのグループに分けました。グループの平均歩数は、それぞれ2,718、4,363、5,905、8,442歩でした。

結果に影響するようなさまざまな因子で調整した全死亡率は、最も歩数が少なかったグループを1.00とすると、二番目に少なかったグループでは0.59、三番目は0.54、最も歩数が多かったグループは0.42となり、歩数が多いほど死亡リスクは低下しました。ただし1日歩数が7,500歩を超えると死亡率低下は横ばいになりました。また、歩行強度と死亡率の関係をみると、一見強度が強い方が死亡率低下に関係するようにみえるのですが、1日歩数で補正すれば関連は薄くなり、結局のところ歩行の運動強度はあまり関係なく、1日歩数が重要であることが分かりました。

この研究は、“毎日少しで良いから歩くこと”の重要性を示しています。1日歩数2,700歩という“おそらく日常運動としての意識的な散歩はほとんどしない人たち”でさえ、わずか1日1km強ほどの散歩を追加するだけで40%も死亡リスクが低下する、というのはちょっとびっくりです。しかも歩く速さは問題ではない、というのですから、無理に早歩きで頑張る必要もありません。そして1日5kmと少し歩けば、ほぼ目的は達することができるというわけです。

さて、この簡単かつ安全な“散歩運動療法”が、ここまで高齢女性の死亡率を下げるのが事実なら、より幅広い年齢層で男女を問わず、既存の運動療法と、その効果を比べてみたいところです。「わざわざ運動するのも、めんどうくさい」というナマケモノ人間にもぴったり・・・・・・

さて、話がうますぎる気もしないではないですが、「一日一万歩あるきましょう!!」のハードルはだいぶ下がったように思います。では誰が“一日一万歩”を言い出したのでしょうか・・・・・・この論文の著者たちは、日本で1960年代に大流行した「Manpo-kei」から始まっているのではないかと考えているようです。なるほど、“一日一万歩”の根拠は、サイエンスではなく、日本の一企業の卓越したキャッチ・コピーだったようです。



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2019年09月15日

摂取する食品の種類が多いほどリスクが下がる!?

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JPHC研究という日本の有名な「多目的コホート研究」があります。コホートとは、ある時点で研究対象とした病気にかかっていない人をたくさん集めて将来にわたって長期間観察を続けることにより、どのような要因がどのような病気の発生あるいは予防に関係するかを知る研究方法です。JPHCは国立がん研究センター、国立循環器病センターをはじめとする研究機関や大学、それに全国10の保健所が共同で多種多様なテーマについての研究を行っています。


今回紹介するのは、摂取する食品の数と死亡リスクとの関係を検討した研究で、
大妻女子大学の小林教授らを中心としたグループが欧州臨床栄養学雑誌(2019年5月号)に発表したものです。研究期間は1995〜2012年で、対象となった人は岩手県二戸、秋田県横手、長野県佐久、沖縄県中部と宮古、茨城県水戸、新潟県長岡、高知県中央東、長崎県上五島、そして大阪府吹田の計10保健所管内に居住していて登録時点で虚血性心疾患、脳卒中、がんの既往がない79,940人(男性37,240人、女性42,664人:年齢45〜74歳)、平均観察期間は14.9年でした。

この研究では、133の食物・飲物(アルコールは含まない)品種をリストアップして、研究開始から5年目の時点で食事調査票アンケートを用いて調査しています。そしてこれら133品目について1日に何品目摂取したか、さらに魚・肉・野菜・果物・大豆製品については、それぞれについて何品目摂取したか、すなわち摂取食品の種類の多さ=“食事の多様性”とその後の全死亡、主要原因による死亡リスクとの関連を検討しています。

さて、結果ですが、男性と女性ではかなり異なっていました。摂取食品の数の多寡によって5段階のグループに分けて死亡リスクを比較すると、男性では摂取する食品目の数と、全死亡、がん死亡、循環器疾患死亡、その他の死亡、いずれとの間にも統計学的に意味のある相関はありませんでした。一方女性では、摂取する食品目が多いほど全死亡、循環器疾患死亡、その他の死亡リスクの有意な低下がみられました。品目が最も多いグループは、最も少ないグループに比べて、全死亡率、循環器死亡率、その他の死亡率はそれぞれ19%、34%、24%低かったのです。

また食品ごとの多様性とリスクの関係をみると、男性では肉類を最も多品目摂取する人は全死亡リスクが有意に高く(35%)、果物を多品目摂取すればリスクは最大13%低下しました。また女性では大豆製品の品目が多ければ、全死亡リスクが11〜13%低下しました。

一般に「食事はできるだけ多くの食品目をバランス良く摂取するのが望ましい」ということになっています。これは日本のみならず諸外国でもそのように推奨されています。よく「1日目標30品目」といいますね。30品目をクリアするのは、なかなか大変じゃないかと思うのですけど、実際どれくらいの効果があるかについて、はっきり示した研究論文はなかったと思います。今回の研究はひとつの答えといえます。それに日本人が対象ですので、よけいに参考になるでしょうね。

そこで「多品目の食品を摂取することは、全死亡、循環器死亡、その他の死亡など、がん死亡以外のリスクを低下させる可能性がある」というのが、私の当面の結論です。この傾向が女性だけに現れ、男性では認められなかったことについて、著者らは(統計学的な補正操作は行ったようですけれど)「男性ではアルコール摂取量、喫煙者が女性より多かった」ことを原因に挙げています。あるいは“摂取食品目を増やすことによるリスク低下効果”はそれほど強いものではなく、“高リスクとなる良くない生活習慣”で打ち消される程度のものかも知れません。また、肉・果物・大豆製品などにおける“食品ごとの多様性とリスクの関係”については、まだ結論を下すには早いように思います。

考えてみれば、食事で食品目数を増やすことが健康に寄与することは容易に想像できます。そもそも品目を増やさないと“バランス”をとるのは難しいでしょうから。ただ多品目を食事に取り入れる=他品目の食品を購入する、ということですから、所帯あたりの人数が少ないと、不経済だし“食物ロス”にも繋がりかねない・・・・・ある意味、カロリー制限や運動の励行など個人の努力と意志で達成可能な対策に比べると、食品目数を増やすことには、“社会経済的な困難”があるかもしれません。

私の希望としては、高齢者都市住民を対象とした自宅調理、出来合のおかず購入、外食の割合とリスクの関連をぜひ研究してほしいと思うのです。そのほうがアーバン生活の実態を反映して・・・・・・待てよ、今から研究してもらっても、結果が論文になる頃にはもう・・・・・・やっぱりしてもらわなくても良いです。
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2019年09月01日

ナトリウムとカリウムの適正摂取量は!?


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高血圧の話題が続きましたが、続きついでに塩分1日摂取量の話です。国立研究開発法人医薬基盤健康栄養研究所(19字!長い!)によれば、2015年の日本人男性の1日平均塩分摂取量は約11g、女性は約9gで、ここ数十年間でかなり減ってきたとはいえまだまだ多いとされ、厚生労働省は男性<8g、女性<7gを推奨しています。WHOの推奨はさらに厳しく、1日<5gです。ここで言う塩分は食塩(NaCl)量なのですが、国際的には塩分摂取量は通常Na量で表現されます。上記WHO推奨はNaで <2gということになります。もしお手元の食品がNa量表示だったら、2.5倍すれば塩分量に換算できます。

Naはカリウム(K)と並んで、人体の恒常性や細胞活動を維持するのに必須のミネラルです。ともに体内では合成できず、毎日適量を飲食物として摂取する必要がありますが、Na摂取が過剰になれば血圧は上昇します。一方、地球上には極端な低Na摂取(Na≒0)でありながら健康な生活(むろん高血圧は非常に少ない)を送っているイヌイットなどの民族が存在するので、“Naは低ければ低いほど良い”とする意見も根強いのです。一方Kは豊富にとることによって血圧降下作用や心血管イベントの減少、死亡率の低下効果が得られるのですが、日本でも外国でも摂取不足になりがちです。K摂取の意義はもっと強調されるべきです。

そこでNa摂取を制限し、K摂取を増やすことが心血管リスクを下げ、健康に寄与するという観点から(英国医師会雑誌 2013年4月オンライン)、日本では上記のNa摂取目標に加えてKは>3g/日、WHOはK>3.5gを目標に掲げています。しかし日本も諸外国も、K摂取量はせいぜい2g強くらいなのが実情です。

Kをもっと摂取すべきなのは疑いありません。例外は中等度以上の腎機能障害をもつ人くらいです。一方、Naについては時々「あれっ?」という論文が発表されます。代表的なものに「摂取Naが増加すると収縮期血圧は上がるが心血管リスクとは関連せず、むしろ摂取Naが低すぎたらリスクが高まる」(米国医師会雑誌 2011年5月号)、摂取Naが高すぎても低すぎても死亡率が上がる」(米国高血圧学会誌 2014年7月号)、などがあります。これらの報告によればNa<2gはダメということになります。

ところで、どうやって1日摂取Na量を求めるかですが、食べ物や飲物をすべて記録して・・・・・・という方法ではまず不可能です。臨床研究で用いられるのは早朝1回尿から推定される1日尿中Na(またはK)排泄量をもって、Na、Kの1日摂取量の代用とする方法です(九州大学 川崎晃一ら;臨床実験薬理学・生理学誌 ワイリー出版:1993年1月号)。

本論に戻りますと、要するにK摂取増量推奨には異論ありませんが、Naの適正摂取量にはまだまだ議論があるのです。こうなれば実証しかありません。そこでカナダ・マクマスター大学の研究者ら31名の多国籍研究グループは18カ国、100,000人超を対象にして、1日尿中Na、K排泄量と心筋梗塞、脳卒中、心不全(主要有害心血管イベント)の発症および死亡率との関係を検討しました(英国医師会雑誌 2019年2月 オンライン)。

対象となった国と地域はバングラデッシュ、インド、パキスタン、ジンバブエ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、マレーシア、ポーランド、南アフリカ、トルコ、中国、コロンビア、イラン、カナダ、スウエーデン、イスラエル占領下パレスチナ地域とUAE、合計103,570人で、平均尿中Na排泄量は4.9g(塩分換算12.3g/日!)、平均尿中K排泄量は2.1gでした。観察期間の中央値8.2年後で6%が主要有害心血管イベントを経験するか、または死亡していました。

結果には少し驚かされます……そもそもWHO推奨の1日Na摂取<2gの人は全体のわずか1.5%に過ぎず、同様に推奨に近い1日K摂取>3gの人も6.6%しかいません。すなわちWHOが推奨するNa、Kの適正摂取量を摂取している人はごく僅かなのです。そして1日摂取Na<2gの人は明らかにリスクが高く、最もリスクが低くなるのは「Na摂取3〜5g(塩分換算7.5〜12.5g)、かつK摂取が高い人」という結果が得られました。

さて、この研究結果をどう評価するかですが、この研究の対象にはアジア人は含まれていますが日本人は入っていません。また対象になった国や地域はやや発展途上国に偏っています。ただNa摂取については、多すぎても少なすぎてもリスクが高くなる(U字型現象とよばれます)という同様の結果を示した先行研究も複数あるので、この結果は正しいのかも・・・・・・そうなると、ここは塩分<5gの目標は避けて厚生労働省の推奨どおりのNa<7〜8gの摂取目標が無難でしょう。そしてカリウム摂取を増やしましょう!

Kを豊富に含む果物はアボカド、バナナ、キウイ、野菜は豆類、イモ類、コマツナ、シソ、そしてトマトジュース、果物の缶詰・・・・・・一度調べてみて、お好みの食品を探して下さいね!
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2019年08月15日

“イナーシャ”という難敵

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前回紹介した日本高血圧学会(JSH)が発表した高血圧治療ガイドラインの中で、JSHは日本の高血圧治療は未だ不十分であり、その要因として、「不適切な生活習慣」、「アドヒアレンス(患者自身が病気をよく理解し、服薬遵守を含めて積極的に自らの治療に参画する姿勢)の不足」に加えて「臨床的イナーシャ」を挙げています。

“イナーシャ”ってロシア系女性の名前みたいですよね。イナーシャ・クチンスカヤとか体操競技にでてきそう・・・・・・でもロシア語ではありません。“イナーシャ inertia”は「慣性・惰性・怠惰」などの意味をもつ英語です。JSHがわざわざこの言葉を使ったのは、注目してほしかったからでしょうね。もう、すぐカタカナを使って気を引こうとするんだから・・・・・・まあ、人のことは言えないけど。

高血圧治療におけるイナーシャは、「血圧が高いのに治療を開始しない、あるいは治療中で血圧が治療目標に達していないのに治療を強化せずに、そのままにしておく」という意味です。これは単に患者さんだけの問題ではなく、医師・その他の医療従事者、医療システム、医療経済の問題など、“複合的な治療の障害”と捉えることができます。

高血圧治療に限ったことではありません。診療の現場で生じるイナーシャは「臨床的イナーシャ」または「治療的イナーシャ」とよばれ、近年、生活習慣病の治療・管理で注目されている治療目標達成阻害要因です。これに関する論文が最も多いのが糖尿病領域で、数百編の論文が発表されており、高血圧領域や高脂血症領域がこれに次ぎます。要するに「科学的根拠をもったガイドラインに準拠すればタイムリーに治療を開始すべき、または治療を強化すべきときに、それをしない」ということです。糖尿病治療で言えば「薬物治療開始時」「薬剤追加時」「インスリン治療導入時」に起こりやすく(糖尿病と代謝誌 エルゼビア出版 2017年7月号)、決断の遅れは平均1年以上で下手をすれば最長7年を超えるとの報告もあります(ダイアベテス・ケア誌 2018年7月号)。

急性かつ放置すれば致死的な疾患では、治療開始時に過度に逡巡する人はめったにいません(少し逡巡する人は珍しくありませんが)。でも生活習慣病では“生活習慣の改善”から“薬物療法開始”へ踏み出す場合、心理的ハードルは相当高いのはよく理解できます。「できれば薬は飲みたくない」という言葉は良く聞くフレーズです。一方、医師側の薬を飲まないといけない理由は“科学的根拠”、言ってみれば“益と害の確率論”です。薬剤の有効性、有害事象(副作用)の発現は本質的には確率論なのです。この“心理的ハードルvs確率論”はしばしばすれ違います。

でも心理的ハードルは医師の側にもあります。服薬による益と有害事象を天秤にかけた時、医師(または患者さん)が有害事象をより重く見るタイプである場合、治療開始はともかく、医師の治療強化の決断のハードルは少し上がります。するとしばしば、「では、もう少しこのまま様子をみましょうか」ということになります。これも典型的な“イナーシャ”です。

もちろん“惰性で流す”“逡巡する”のと“真剣に考えたあげく決断を保留する”というのは、患者さん側にとっても、医師にとっても、姿勢としては全く異なるのですが、正解が“Go! or Wait”のどちらかであるのなら、結果でみると同じです。それがまた困ったことなのですが・・・・・・

生活習慣病の治療においては、道標=ガイドラインは、多くともたかだか数万人を対象とした学術論文(多くの場合は複数ですが)に基づいて決められています。だから目の前の患者さんにあてはまるかどうかは100%の確信を持っては言うことはできません。だからと言っていつも直観や経験、又は好みで決めるわけにもいきません。直観・経験・好みは、しばしば裏切るのです。

となると、ガイドラインによれば治療開始又は追加すべき、という状況になれば、その人固有の既往歴、脳、心、腎、末梢動脈の合併症を勘案して、Wait! のサインがなければGo! を選択する方が正解の可能性は高いと思われます。そして万一有害事象がでたのなら、そこでStop! をかければ、たいていの場合、間に合います。

「そろそろ薬をはじめましょうか?」「薬ですか・・・・・・」「気が進みませんか・・・・・・」「気が進まないわけじゃないですけど・・・・・・」「じゃあ、もう少し様子をみましょうか。」これがイナーシャです。やはりなんとなく倦怠感と無気力感がありますね。やはりこれはよくない場合が多いのです。ただ主治医と患者さんが、ちゃんと相談したうえでのWaitなら、それはそれでひとつの選択だと思います。

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