元市立豊中病院病院長の片桐修一さん(小西ホーム)が最新の論文を元に気になる医療情報を語ってくれます。
2020年11月15日

「幸福とは何か?」これは人類にとって永遠のテーマです。この問題についての哲学的考察の端緒は、今から2,300年ほど前、古代ギリシャ時代にまで遡ります。当時の幸福論の系譜は二つあって、ひとつはエピクロスの唱えた「快楽主義(ヘドニア)」、すなわち望みや喜びを達成し、苦痛がないこと、今ひとつはアリストテレスの言う“生きる意味や目的を求めつつ、良く生きることこそ幸福”という「幸福主義(ユーダイモニア)」です。
幸福を感じているのと、不幸を感じているのと、どちらが健康に良いかといえば、常識で考えても幸福の方が体に良さそうだと、誰もが思うのではないでしょうか。でも好きなものを食べたいだけ食べて、好きなお酒を浴びるほど飲んで、「幸せだな〜(これはヘドニアです)」と感じることが健康に良いとはとても思えません。健康や疾病との関連を検討するのなら、“幸福”も少し深く掘り下げる必要がありそうです。
現代の心理学・精神医学では心の幸福は“心理的well-beingウェルビーイング”という言葉で表現されることが多いのですが、これを“今、喜び・楽しみを感じて心地よい”、すなわち「ヘドニア・ウェルビーイング」と、“生きる意味”や“生きる目的”を目指す過程に重きを置く「ユーダイモニア・ウェルビーイング」とを区別する考えがあります。
それにしても、このふたつの幸福の系譜が、現代においても疾病に関与する因子として研究対象になっていることに驚かされます。私自身の研究なんぞ、そのインパクト(もともとごく限られた“ムラ社会分野”においてですが)は発表して数年もすれば霧散霧消していることを思えば・・・・・・古代ギリシャ哲学、恐るべし・・・・・・
最近、順天堂大学と英国ロンドン大学、ケンブリッジ大学が共同研究を行い、動脈硬化の進展とヘドニア・ユーダイモニアとの関連を検討して、米国心臓協会・米国脳卒中協会の機関誌(ハイパーテンション誌 2020)に発表しました。
研究に用いたデータベースは英国公務員を対象とした「ホワイトホールU研究」と呼ばれるものです。実際に解析対象となったのは心理的ウェルビーイングの有り様を調査するCASP-19に回答し、基準時または5年後に大動脈脈波伝搬速度(PWV)を受けた男性3,466人、女性1,288人(平均年齢65.3歳)でした。
CASP-19は65−75歳の人の生活の質や心理的ウェルビーイングを測定するためのツールとしてインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者が発表した質問票なのですが(加齢とメンタルヘルス誌 2003)、「人生の喜び・楽しみ」「コントロール」「自律性」「自己実現」の四つの要素から評価します。喜び・楽しみはヘドニアに、残りの三つは生きる意味や目的、すなわちユーダイモニアに関連するとされています。またPWVは臨床検査として広く行われている簡便な動脈硬化の指標であり(動脈硬化伸展によりPWVが高値をとる)、心血管病のリスクを予測可能とされています(米国心臓学会・心臓協会機関誌 2014)。
さて、結果ですが、ユーダイモニア・ウェルビーイングのレベルが高い男性は低い男性に比べPWVが低く、その傾向は5年後にも持続しました。しかし女性ではこのような相関は見られず、一方、ヘドニア・ウェルビーイングのレベルとPWVの相関は男女いずれにおいても認められなかったとのことです。
この論文の順天堂大学の著者は、日本の高齢者の心理的ウェルビーイングと動脈硬化・心血管疾患の関連について、さらに調査を進めたいようです。彼らは高齢者が“生きる意味・目的をもって余生を送る”ことが、ひいては心血管病の予防にも繋がると期待しているのでしょう。私もそうであれば良いと思うのだけど・・・・・・
しかしこの手の研究、とくに幸福感と身体疾患関連の研究ですが、男性で有意の相関がでても、どうも女性では、“ポジティブデータ”がでにくい傾向があるようです。このあたりが気になります。また、この研究でもそうなのですが、どうしてもユーダイモニア・ウェルビーイングがヘドニア・ユーダイモニアよりも上位にあると思われているように見えます。でもね、CASP-19でもユーダイモニアの指標となっている「自己実現」、何かうさんくさくないですか!?これを提唱した米国の心理学者アブラハム・マズロー先生、すごく有名な方で、その業績は心理学を越えて教育学、経営学にまで影響を及ぼしたのですが・・・・・・
私は「自己実現」は言ってみれば幻想じゃないかな、と思っています。その幻想に振り回されている男性にはユーダイモニア・ウェルビーイングは意味があるのだけど、女性はつまらない幻想とは無縁で、ユーダイモニア・ウェルビーイングよりも、もっと大事なものが見えているのではないかという気がしてなりません・・・・・・でも見えていない男性は、この際やけくそで幻想を離れ、ヘドニア・ウェルビーイングへまっしぐら!というのはまずいかな、やっぱり。
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日記
2020年11月01日

「年齢とは何か?」と問われたら、ふつうは「そりゃ、生まれてからのどれだけ時間が経ったかだろう」と答えますよね。もちろん正解。でもこれは「暦年齢」とよばれる年齢です。「では、他の年齢ってあるの?」と問われたら「あります。それは生物学的年齢です」と答えることができます。生物学的年齢とは、組織・細胞の老化の程度から求められる指標です。ある程度歳をとってくると、暦年齢より生物学的年齢で勝負!となる機会が多いかもね。
ヒトの設計図はDNAという遺伝情報からできています。DNAは外界の紫外線とか化学物質によって損傷を受けたり、それを修復したりしているのですが、DNAに“修飾”が加わることもあります。このような修飾を「遺伝子のエピジェネティクス変化」と呼びます。そしてこの遺伝子修飾は次世代にも伝達可能です。
最も有名なのはDNAを構成する塩基のひとつであるシトシンの水素基(H-)がメチル基(CH3-)に置き換わる“DNAメチル化”です。このメチル化が起こると原則としてその遺伝子は働かなくなります。それが運悪く“がん抑制遺伝子”だと、がんが発生する可能性があるのですが、それはまた別の話・・・・・・今回はこのDNAメチル化のレベルが生物学的年齢と強く相関しており、DNAメチル化測定を“エピジェネティクス加齢時計”として使うことができるという話題です。
ここで突然ですが、イヌの年齢の話です。イヌの年齢をヒトに換算するとき、最もラフな換算法は「イヌの年齢×7」とされていることが多いようです。しかしイヌでは大型犬の方が小型犬より寿命が短い≒老化のスピードが早いことは良く知られています。そこでイヌの大きさによって、異なる換算式も存在するようですが、多くは経験則にのっとったものです。ところが最近DNA メチル化を用いた“エピジェネティクス加齢時計”でイヌの年齢を推計した論文が発表されました。
この研究を行ったのはカリフォルニア大学サン・ディエゴ校のグループで、0.1〜16歳のラブラドールレトリバー犬104匹と1〜103歳のヒト320人から血液サンプルを得てDNA メチル化を測定しイヌとヒトの年齢の相関関係を明らかにして換算式を求めました(セル・システムズ 2020 7月1日号 セル出版)。
その結果導き出された式は、「16×In(イヌの年齢) + 31」=相当するヒトの年齢
でした。“In(イヌの年齢)”については、ネットで“対数関数計算サイト”で検索して入力すれば簡単に答えが得られます。イヌは生後半年でヒトに換算すると20歳くらい、イヌ1歳でヒトなら31歳、イヌ2歳にしてヒトなら42歳、孔子さま流で言えば、既に「不惑」です。イヌ12歳でヒトなら70歳、「従心」ですね。「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の心境になっているのでしょうか。ラブラドールレトリバー犬ならそうかも知れないな〜マンションで私の顔をみたら吠えるあのイヌたちとは、たたずまいが違うしな・・・・・・
興味深い論文だと思うのですが、残念ながらラブラドールレトリバー・クラスの大型犬の換算式です。中小型犬はまた別のサンプルと解析が必要でしょうね。またひょっとしたら犬種毎に違う可能性もあります。ドーベルマンとか土佐闘犬とかともなれば、検体採取も命がけですね・・・・・・
それはさておき、このDNA メチル化、ヒトの生物学的年齢のみならず休止状態にある遺伝子を知ることもできます。さまざまな疾病予防や今後の健康戦略に有意義かも知れません。知りたい気もしますが、究極の個人情報でもあります。
「だいたいなぜDNA メチル化などという機構があるのだ?」という疑問もでるかと思います。まだ分らないことはたくさんありますが、ヒトの有核細胞すべての核内には、人体すべてを構成できる全DNAが格納されています。でも至る所で勝手に遺伝子が発現したらもう大変なことになります。例えば肺の細胞の隣で勝手に肝臓の細胞ができてきたりしたら、収拾がつきません。必要以外の遺伝情報は凍結されているのが原則なのです。しかし、ヒトの一生のなかで、受精卵が誕生した瞬間は、すべてのDNA メチル化がキャンセルされると考えられています。まさに“生物学的に何にでもなれるポテンシャルを持つ瞬間”ですね。
“何にでもなれる”というのはちょっと素敵ですね〜以前紹介したかも知れないけど、19世紀のイギリスの作家、George Eliot女史はIt is never too late to become what you might have been.とおっしゃいました。「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない」・・・・・・美しい言葉だけど「そんなの嘘だぁ〜」とつい言いたくなります。私が思うに、人は生きていくうちに、さまざまな秘めたる可能性に“メチル化修飾”がかかって発現できなくなる・・・・・・それが歳をとるということ・・・・・・そんな気がします。なんだか考え方にも夢がなくなってきたな〜ちょっと反省、でもtoo late・・・・・・
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日記
2020年10月15日

さて、ご承知のとおり、アルツハイマー型認知症(AD)は日々増え続けています。65歳以上の高齢者の約15%がADに罹患しているとされ、2012で462万人、2025には700万人に達すると言われていますので、現時点では約600万人といったところでしょうか。こうなるとADのリスク因子とそれに対する評価と対処はことのほか重要です。
この問題について、最近中国・上海にある復旦(Fudan) 大学のグループが、現時点での大規模な系統的レビューを行い、英国医師会雑誌系列の専門誌である「神経学、脳神経外科学&精神医学誌 2020 7月20日 on line」で報告しました。
解析対象は2019年3月までに出版された44,676編の論文から一定の基準を満たした前向き観察研究 243編とランダム化比較試験 153編の合計396編です。
さて結果ですが、ADのリスク増大と関連する強い科学的根拠がある因子は、@糖尿病、A肥満、B高血圧、C起立性低血圧(立ちくらみ、加齢や薬物による自律神経機能障害など)、D高ホモシスティン血症、E頭部外傷、Fストレス、Gうつ病の8項目でした。一方、ADリスク軽減に関連する因子は@教育歴の長さと、A高齢期の認知活動(たとえば読書、このブログを読むのも良いかもね)でした。
Dはあまり馴染みがないと思いますが、ホモシスティンは必須アミノ酸であるメチオニンの中間代謝産物で、一般に高値だと血栓症になりやすいと考えられています。しかし通常の診療や人間ドックでルーチンに測定されることは、まずありません(若年者の血栓症などで原因精査のために測定されることはあります)。ホモシスティン増加の原因としては、先天性の代謝異常や酵素欠損など稀な原因を除けば、加齢(男性>女性)、喫煙、ビタミン欠乏、腎障害などが指摘されています。
また、科学的根拠が弱いがADリスク増加と関連する可能性のある因子として、@喫煙、A脳血管障害、B脳微小出血、C頚動脈超音波検査での「内膜中膜複合体肥厚」(正常ではごく薄く1mm以下くらいなのですが、頚動脈硬化があると分厚くなります)、D心血管疾患、E心房細動(心拍がばらばらになります)、Fフレイル、があり、逆に根拠の弱いリスク低下因子としては@身体活動、A健康的食習慣、BビタミンC摂取、C中年期に肥満がなく、高齢期以降に体重減少がない、が挙げられました。
薬剤によるリスク低下効果については、女性の閉経期のエストロゲンによるホルモン補充療法と、ADの治療薬として用いられているアセチルコリンエステラーゼ阻害剤(アリセプトという薬が有名です)が検証されましたが、いずれも投与は推奨されない、という結果でした。
まっ、何というか、想定内の結果ですね〜健康的に過ごせ、持病は放置するな、体も頭も動かせ・・・・・・もっと他に何か良い方法はないのかい!と言いたくなります。そこでちょっとユニークなアプローチを紹介します。ひとつは日本の理化学研究所のグループが「フロンティアーズ・イン・エイジング・ニューロサイエンス誌 2020 7月2日 on line」に発表した研究です。対象はAD患者なのですが、大勢で集まって輪になり、ドラムを叩くと認知機能が改善するとのことです。ADでは麻痺がなく、運動そのものは可能だけど、合目的運動ができない(これを「失行」といいます)という症状があるのですが、それも改善が見込めるようです。
これはたぶん、上肢を使ってリズミカルにドラムを叩く、ということが脳も上肢も刺激することになり、それが認知症に一定の効果があるのだと思われます。対象がAD患者ですので、大人数でのコミュニケーションもまた、好結果の一因かも知れません。でもADを発症していない段階なら、一人でやってもADのリスク低下に繋がるかも、と期待したくなります。どうせやるなら体全体を使って“ドラムセット”を叩くのも一興です。ビートルズのリンゴ・スターさんやブルコメのジャッキー吉川さんを想い出して・・・・・・でもドラムセットを持っている人はごく少ないし、かりにドラムがあっても、自宅でやると近所から苦情がでるかも知れない・・・・・・そのあたりの皿か鍋に座布団を乗せて消音して・・・・・・う〜ん、あまり楽しくなさそうですね。
いまひとつ、これはまだ論文にはなっていなくて、学会発表のレベルですが・・・・・・2020年7月にバーチャル・ミーティング行われたAD協会国際会議の演題に、インフルエンザワクチンや肺炎球菌ワクチンを接種した人はADの発症リスクが20〜30%ほど低下するとの複数の報告がありました。
ちょっと話がうますぎる様な気もしないではないですが、ADでは感染症にかかると死亡リスクが上がるのは周知の事実ですし、この新型コロナ流行のご時世、インフルエンザや肺炎球菌ワクチンの予防効果を期待するのは、ごく自然な成り行きかと・・・・・・つぶせるリスクはつぶしておくのが上策と思うのです。
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